横浜西部急行の備忘録2(きまぐれ鉄道日記帳N)

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2017年12月

2017年総集編(実物篇)

こんばんは
あぁ、あっという間の1年だたなぁ…と言う事で、

2017年総集編~実物編
今年特に印象に残った出来事等をお送りします。昨年にも増してマイペース人間になり下が
ったので、世の中の流行が必ずしも出てくるわけではないのであしからず・・・


1月
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原因不明の脱力から始まった2017年。活動はもとより記事執筆すらもままならない状態でしたが、友人に連れられて運転会&大洗へ。自分以外が計画した遠征に便乗して行くのも違う視点から見る事が出来て面白い物でした。またいつか。
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それでもなお何とかやる気を絞り出して撮影諸々へ。
世代交代が終盤となった銀座線で、レトロ編成の運行初日に当たりました。
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後半以降は、春のダイヤ改正以降動きがあるであろう東武伊勢崎線の面々を撮りに。
東武撮影ブームが到来しました。
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2月
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東武ブームの渦中で、わりと頻繁に沿線(特に伊勢崎線)まで飛んで行く事が多くなりました。沿線に張り込んでいるうちに結構レアなのも撮っていたりしました。写真は試運転中のメトロ13000系。
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ちょっと息抜きに新京成に行ってみたりも。
5年くらいブランク明けてしまいましたが新塗装の得た事増えた事。上の写真も、新鎌ケ谷駅高架化でもう撮れないのでしょうか。
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3月
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地元の話題をすっかり忘れていましたが、相鉄線天王町~和田町間の下り線が高架線に切り替えとなりました。相鉄沿線に住んで20数年間ずっとお世話になって来た地上線を記録。
間もなく上り線も高架化されるので、地上区間を走る姿の記録はお早めに。
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3月と言えばダイヤ改正シーズンですが、JR等には特段追っかけるネタが無かったので専ら私鉄を追っかけ。悩みに悩んだ末、退役を迎えた東京メトロ銀座線01系の営業最終日に立ち会って来ました。
東急東京メトロパスなどでメトロ巡りをしていた時によくお世話になって板01系。自分の青春時代と共に去って行った感があります。
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東武ブームはなおも続く。
月に何度も春日部のポイントに張っていましたね~・・・東武新特急電車リバティの試運転にも遭遇したりしました。
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4月
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東武ブームはなおも続く。
結構撮り尽くしてきた感があったのでここらで一丁乗ってみよう!と区間快速に乗りに言ったら何と東武70000系の試運転に遭遇。2017年に東武伊勢崎線に於いてデビューした3形式(リバティ、13000、70000)の試運転を全種類拝めたことに。
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日光快速を求めて遂に栃木県まで進出!
都内や埼玉県内では撮れない風に撮れました。後この日は、東武300系引退記念運転に丁度当たったので撮って行きました。今年は東武がかなり動いた年でしたね。
悪天候の予報にまじないをかけて覆らせてくれた友人に感謝!!!

そして、沢山撮りまくった日光快速は4月のダイヤ改正で姿を消したのでした。
一度おつまみ片手にグループで乗って駄弁りながら温泉旅行とかしたかったですねぇ…
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4月末には、友人との待ち合わせ合間に小田急モノレール廃線探訪。
痕跡は確認できませんでしたが、草に覆われた向ヶ丘遊園の廃墟などを見ながら当時に思いを馳せました(※小田急モノレールは乗車経験があってうっすらと記憶がある)。
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5月
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GW前の平日は、お出かけパスを用いてJRと東京モノレール撮影へ。
特に八高線と武蔵野線は今後世代交代が進むと思われるのでよい記録になりました。
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中旬には一日使って東急を撮影。
田園都市線も池上多摩川線も今後徐々に世代交代が進んで行くので記録はお早めに。
何かこの辺りから、人があまり来ないような所で撮るようになったなぁ…
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6月
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日の長い夏場は夕方までJR撮影、と言うパターンが比較的多かったです。
そろそろ危ないかも…?と言う感じだったE351系スーパーあずさ等を記録。この直後、長らく試運転を続けていたE353系が量産体制に入る事が発表。一気に撮影者が増えたのでした。
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時には地元回帰。
相鉄でフラフラしていた7710Fの試運転に遭遇したので撮って行きました。
登場から来年で43年目。最新鋭20000系の運行開始が間近に迫る中、最後の「アルミトリオ」は大きく注目を浴びています。
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何か今年の梅雨は結構よく晴れましたね~…まさか8月があんな凄惨な天気になるとは思わなかったなぁ…

7月
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丁度この頃はE217系全編成撮影を目指して頑張っていた頃なので、割と頻繁に灼熱の下総中山駅先端に張って撮っていました。貨物を撮りに来た方たちが撤収した後もひたすらひたすら…後に9月中に全編成コンプリートしました。パチパチパチ。
E217系も自分とほぼ同世代でいつ置換えが始まるか判りませんので、うんざりするほど来る今のうちに撮っておきませう。
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2015年11月の営業運転開始より約1年半・2016年3月の営業運転復帰より1年余り。ようやっと山手線の最新型を体感できる時が来ました。小田急1000形リニューアル車などと同様のSiC-VVVFを採用していますが、走行音はそれらとはだいぶ異なります。音鉄的にも結構興味深い音でした。来年はどれくらい増備されるのでしょうか…
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丁度この頃は、JR書く線に出向いて色々撮っていました。
りんかい線の70-000も久々に撮ったらヘッドライトがLED化されていたり。細かな変化を見る事が出来ます。来年は何処へ行こう。
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8月
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8月は18きっぷ使って少し遠出したいなぁ…と思っていましたが、来る日も来る日も曇りor雨と言う天気ばかり。梅雨明け情報出た直後から梅雨が始まったようなクソ天気だったがために折角1月以降徐々に上がって言っていたやる気を全部叩き落される憂き目に。
遠征は全滅しましたが、丁度お目見えした相鉄の新車20000系の搬入を2階に渡ってみる事が出来ました。20年あまり見てきた相鉄の新たな時代の幕開けを見る事ができました。営業運転開始が待ち遠しいですね。
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実はこの頃、潰れた遠征出撃費用を転用して撮影用の新機材(=カメラ)を購入しましたが、8月後半になってもなお先述のようなクソ天気の連続だったので購入後半月に渡って放置。
やっとこさでる気になれる天気の日に新カメラを携えて撮影に出ました。まだなれませんが今後も色々撮って行ければと。
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9月
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珍しく自主的にネタを撮りに行った日。
カシオペアクルーズに、今まで撮れていなかったお召し塗装のEF81-81が入ると言う情報を得たので、栃木県内までお出かけ。
結構人がいるだろうなぁと身構えて行きましたがそれほどでもなく、寧ろ機関車に呼ばれて曇って暗くなる空とのバトルでしたね~…
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余り他人が撮らないであろう、E233計0番台青編成の撮影を主軸に…した撮影でしたが、移動の過程で115系の入場改装を見られたりEF64-37の単機を見られたりなどと思いがけず中々濃い撮影となりました。
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10月
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自分が出る時に限って昼寝していたり逆方向を走っていたりと、非常に巡り合わせが悪かった横浜市営地下鉄ブルーラインの差異新型車3000V形。遂に捕捉に成功したので撮って&乗って来ました(※既に営業運転開始から半年経過)。今までにない車内と雰囲気が素敵ですねぇ。これが通学で使っていた頃に来てくれればなぁと思った秋の日でした。
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気温が低い日があったので、退役が進むメトロ03チョッパ編成を求めて半年くらいぶりの東武伊勢崎線へ。道中1800系も見られて中々濃い一日でしたと。次は走っている姿を…!
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10月の終盤は、一日使って西武線を心行くまで堪能!
この日デビューした40000系第3編成を始め、黄色い車両しか走らない国分寺線や多摩湖線などを堪能。天候にも(珍しく)恵まれ充実した日でした。
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そして、相鉄の終電に間に合うギリギリまで西武に滞在し、初の相鉄線の終電を体験!
側面行先表示のない新7000だったのが少々残念でしたが、終電特有の雰囲気を肌で感じる事が出来ました。またいずれ。
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11月
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複々線化工事完成に伴い、2018年春に大規模なダイヤ改正を行うことを発表した小田急。
様々な物が消えたり出来たりします。其の中でも準急の新宿乗り入れ廃止は比較的自分にとって大きな話題なのでちょくちょく記録をスタート。朝方に3本、珍しい行先の準急が運転されるのでそれも撮ってみました。最近早朝出発がめっきり減ったので朝がつらくなりつつあるのでした。
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冬の太陽になりつつある中東急線撮影へ。
7連化されたばかりの大井町線急行や青ガエルとなった東横線などを撮影。来年は大井町線や田園都市線に新型車両がデビューするので東急はひときわアツくなりそうです。
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12月
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後継形式E353系の営業運転が間近に迫る中、E351系「スーパーあずさ」の記録を敢行。
朝の八王子駅などに張りましたがあまり撮っている人はいませんでしたね~…
そして、武蔵野線期待の「新型車両」(※敢えて新車とは言わない)のE231系ひ1カ月遅れで初乗車!武蔵野線初の自動放送など見どころ満載でした。
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そして今年の〆は「名古屋遠征Ⅱ」!
2016年の名古屋遠征を更に発展させた遠征を目指しました。今回は名鉄以外にも廃線探索などを盛り込んだ充実した物となりました。レポートも鋭意製作中で年明け後も引き続き書いて行きます(予定)なのでぜひ。
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以下続く

※本当は此処に相鉄20000系デビューの話が入る予定だったが延期となりました。
来年の記事に期待しませう。



さて、2017年をざっと振り返ってみました。
やはりマイナーなネタが増えて、人が集まる物だったり有名な物はあまり興味を示さなくなったように思えます。まぁそれが自分らしさですからそれでよいのかもしれませんが。

皆様の2017年はどうでしたでしょうか。
来る2018年が皆様にとってとてもよい一年となりますように…


それでは皆様、よいお年を・・・

2017年総集編(模型篇)

こんばんは
本日は遠征記事は一時お休みします。
あぁあっという間の1年だたなぁ…と言う事で、

2017年総集編~模型編

2017年の1年間に導入された車両を振り返ってみようという企画です。
今年もまた、誘惑に負けて大量に導入してしまい…ましたが、一時の入線ラッシュに比べるとだいぶ我慢する事も覚えたのかなぁ…と思います。



1月
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富井電鉄 17m級大型電車A/B(鉄コレ)
新年早々、大幅なやる気減衰に見舞われ実車も模型も遅々として進まず、ようやっと入線したのがこの2両のみと言う体たらく。フリーランス部門も最近減衰気味なので此方も中々整備が進んどりません。とりあえず銀の方は相鉄9000のディスクブレーキ付き台車に交換してゲテモノ感を増やしてみました。来年は整備を進めたいところ。


2月
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名鉄5200系(鉄コレ改)
第二次名鉄入線ラッシュの(実は)発端となった車両。
2両編成なので時々5500にくっつけて遊んでいるだけでしたが、8月に更に2両が追加され2+2の4連に。最晩年に4連だったのが2連になったとの事なので、ひょっとしたら2+2があったのではと作ってみました。
主な改造箇所は床下機器と、製品では1段下降窓なのを豊鉄1900系の発生品を利用して2段窓にし晩年の姿を再現しています。今は長年の連結相手旧5000系の発売を待っている状態。
T○MYTECさん来年こそはお願いしますm(__)m

3月
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名鉄3700系(鉄コレ改)
東武撮影の帰りに浅草のポポンで拾ったもの。2両動力付きで¥2000ピッタシという超お買い得品。思えば名鉄旧型車にまで手を出す発端になった車両ですねぇ。まさかあんなにまでなるとは。
改造箇所は床下機器と、製品ではロングシートの内装を転換クロスシートへと改装しています。

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名鉄3730系(鉄コレ改)
3700系の両開きドアVer。
3700系が2両では寂しいと、アキバの模型店で掘り当てたもの。3700は結構中古で出ていますが3730系は中々見当たらないようです。
改造箇所は3700系同様床下機器と、製品ではロングシートの内装を転換クロスシートへと改装しています。転換クロスシートの位置がドア間のみの3700系とは異なり乗務員室直後にもあったのでそれも再現しています。

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名鉄6000系(中期車・現行・Mマーク付)(マイクロエース製)
今年初の、ライトが付く鉄道模型車両の入線。これもアキバで拾ったものです。
ウチの名鉄勢では数少ない「現役車両」です。
改造箇所は元々がよい出来なので特段無いですが、前面のカプラーをパノラマカー用TNに交換しています。そのうちクロスシートが表現された登場時も欲しいところですねぇ。


4月
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名鉄6000系2次車(鉄コレ改)
前月に引き続き名鉄6000系の入線。側窓・クーラー・行先表示が異なる初期車です。
改造箇所は何時もと同様床下とカプラーです。今後1次車が出るようですがどうしましょうか…

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名鉄3800系高運転台車(鉄コレ改)
更に増える名鉄。上記の6000系を買った時、売れ残ってた3800系も「ついでに」買ってしまいましたが、後にそれがきっかけで新たな道に進むとはこの時は露知らず…
改造箇所は何時もと同様床下とカプラーです。オーバーハングが短いのでTNを仕込むのには苦労します…

5月
導入なし。


6月
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名鉄3400系(スカーレット・改良品)(マイクロエース製)
そして収集対象は戦前製の名車にまで波及。赤まむし状態の比較的晩年の姿です。
改造箇所は室内灯を入れた位ですね旧型車らしく少し暗めの車内を再現するため白ステッカーを貼って少々減光しています。転クロ車共通の目標ですが、今後は乗客も載せてやりたいところです。カプラー関係の改造が非常に困難なので4連単独で走ります。

7月

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東武2000系(鉄コレ改)
実在鉄道では今年初の名鉄以外の鉄道…ですが、中間車2両のみ。これで8連となりました。
コツコツと集めていた事業者限定の東武2000系でしたが、8連コンプリート直前にオープンパッケージでの製品化が発表され悔しい思いをしました。

8月
導入なし。



9月
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相鉄5000系(鉄コレ改)
相鉄ファン待望!の5000系リニューアル発売が発表されました。バンザーイ!!!
その影響で、今まで定価の2倍以上の値段で中古店に並んでいた以前発売の事業者限定品の値段が大暴落を起こすだろう…と踏んだ自分はすかさずアキバに出撃し、以前の値段の半額以下に暴落した製品を無事ゲット。
今までは2連2本を保有していましたが更に追加で2連2本購入し、2連に関しては実車同様の4本保有となりました。今後リニューアル品4連2本が入れば実車同様の16両となります(初期車を除く)。
ただし2連4本中製品状態の空気ばね車は1編成しかなかったので、残りの2連3本は台車を交換しコイルばね台車装備の中期車に見立てています。現在はリニューアル品の入線を心待ちにしている状態。ウチの相鉄部門起死回生なるか???

10月
導入なし。


11月
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名鉄3800系(鉄コレ塗替)
2017年の一大転換点となったのは年の瀬迫る11月。今まで床下や内装を弄るにとどまっていたウチが初めて塗装に手を出しました。
GWに材料一式揃えて以降半歳に渡って放置していた、名鉄3800系を着工しました(着工理由がわりとどうでもいい理由)。
当社初の塗装車両ですが、さなえファインテック(https://sanaef-tec.jimdo.com/)のあかいさなえ氏に塗装の技術指導をしていただき、自分でも納得できる出来となりました。ありがとうございますm(__)m

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名鉄800系モ809(タイプ)(鉄コレ塗替)
3800系に引き続き、やる気があるうちにチャキチャキ製作。
お次は、戦前製の単行車両モ800「タイプ」を製作。単に鉄コレ京福の塗り替えで細部が大幅に異なりますが、かつて活躍した真っ赤な単行AL車の雰囲気を感じられればと。
実車に則して内装はロングシートです(此処だけは忠実)。

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名鉄3700系3704編成(タイプ)(鉄コレ塗替)
塗替えブームが到来したらしく、3800系に引き続き新たな種車が入線。3700系最終増備車で、高運転台が特徴の3704編成を製作しました。
種車は琴電1020系で、2箱購入し屋根を組み換えて高運同士のMTとしスカーレットを塗装しました。その過程で余剰となった低運車両はまた新たなる製作車両の種車に…


12月
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名鉄5500系(スカーレット・高運)(マイクロエース製)
名古屋遠征の(自分向け)おみやげ。
名古屋市内の模型売場で売っているのを発見し買ってきました。お土産まで名鉄なんですねぇ。
火災事故からの復旧で1両のみ高運転台に改修された姿を再現しています。室内灯は3400系に搭載した物の余りがあったので入線後すぐに設置出来ました。
年末のひとり忘年会で初披露となりましたが、そのレポートはまた後日。

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名鉄3560系3561+2836(タイプ)(鉄コレ塗替)
今年最後の製作車両。踏切事故で焼損した旧型車を3700系と同様の車体に載せ換えた3560系なる車両があった事を知ったので、上記の3704編成製作時に余った低運M車を塗替えました。実車は3800系のTc車と組んでいたので、新調した大井川のTc車をこれまた塗替えて組んでいます。Tc車はウインドシルの有無など実物とは差異がありますがタイプとして纏めています。
旧型車の中に1両だけ混じる全金属車体。中々萌えますぜ…



今年もなんやかんやで沢山導入してしまった…が、去年と一昨年よりかは導入数は鈍っているように思えます(単に編成両数の多い名鉄にシフトしただけかもしれんが)。
あと今年は塗装業開始と模型の一大転換点となった年でもありました。来年も様々な車両を作ってみたいと思います(モチベーションが持つのかどうか)。

今年もまた、JR/国鉄車両は一切導入していません。こういった点からも、自分が好きな車両/興味のある車両のテーマが徐々に絞れてきているのかと思います…

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今年の重改造(塗装)車両まとめ。
単色ばかりでしたが、コレで徐々に馴らして来年はマスキング技術を会得してツートンカラーとかも作ってみたいところ。

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今年は名鉄車両が爆発的増加をした年でもありました。年末時点で総勢52両。
ただ集めるだけではなく、塗装してみたり内装にこだわったり同じ製品でも少し差異を出したり出来ました。来年も新製品ありますかな…?(できれば旧5000と7300辺りで)

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そして名鉄の台頭で一気に影が薄くなってしまった相鉄勢力。
今年12月に創立100周年でしたが中々新製品が出ず少し遠ざかってしまっています。勿体ない。

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1月(予定)の相鉄5000系リニューアル販売が相鉄勢力の起死回生の原動力となるか???
あと発売予告のページに「今後の商品展開にもご期待を」(要約)とあったのでまた何か出るかもしれませんね。期待して待っていませう。

さて、次回は年末総集編(実車編)をお送りしたいと思います。
続く…2017年も間もなく終了…


名古屋遠征2(09)2-3・Circular window

こんばんは
今年も残すところあと僅かとなりましたがとりあえず平常運転でどんどん記事化して行きませう。お待ちかねの遠征レポート。

前回の続きであります。

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3153F
途中で普通から急行に乗り換え岐阜駅へ。

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3150系と、4連の3300系の初期車は転換クロスシートとロングシートの混合配置となっていますが、近年の増備車ではオールロングシート化されており名鉄らしさが少し薄れてしまっているのがなんとも。

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名鉄岐阜駅前の大通りに出ます。此処は、12年前まで路面電車・名鉄岐阜市内線が来ていました。

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今回の目的地は、名鉄岐阜駅から徒歩10分弱の大きめの公園です。
「金公園」(こがねこうえん)と言うところに、それはあります。

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名鉄岐阜市内線~揖斐線で活躍した、名鉄モ510形513号が静態保存されています。

名鉄の前身のひとつ、美濃電気鉄道により1926年にセミボ510形511-515として誕生した同社初の半鋼製ボギー車(形式名のセミボはセミスチール・ギーから来る)で、円筒形を描く前面や丸窓が採用された戸袋窓など当時の鉄道界で流行していたスタイルを取り入れました。
当初は美濃町線系統で運航されていましたが、1967年の岐阜市内線~揖斐線の直通運転開始に伴い同線に転属。紅白のツートンに塗られて急行運転などで使用されました。
後年スカーレット1色化を経て1980年代には5両中2両が廃車されるも、残った3両は製造から70年以上が経過した平成時代に至るまで活躍し、1987年のエバーグリーン賞受賞を機に紅白ツートンの塗装に復元。2005年3月に主な活躍線区だった岐阜近郊600V線区全廃を見届けて80年に及ぶ生涯を閉じました。

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活躍年間は約80年、そして製造から今年で91年となるオールドタイマー、モ510形513号。
最後まで残った3両は何らかの形で残っており、512号は旧美濃町線美濃駅にて、514号は旧谷汲線谷汲駅にて、そしてこの513号は岐阜市内の此処にて保存と皆ゆかりの地で余生を送っています。
保存会もあり、定期的に整備されているようですが訪問時は色褪せてところどころに錆が出て少々くたびれた感じ(わりとソフトな表現)でした。
露天で90年前に製造された半鋼製車両を保存するには並々ならぬ難しさがあるようです。

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前面にはサボが掲出されていました。
岐阜市内線と揖斐線の接続駅であった「忠節」を表示しています。晩年は殆どの列車が岐阜市内線と揖斐線を直通していたとの事。

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側面。
鉄道線規格で高速運転を行う揖斐線に転属する際に改修が行われ、モーター出力は1両当たり63.4kw×4=253.6kw・最高速度65kmと車体長13mと非常に小柄なわりに強力かつ俊足な車両に変身しました。尚最後まで冷房は搭載されませんでした。

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そしてこのモ510形の特徴の一つ、丸い戸袋窓です。
現在は「まるまどりーむ号」等を運行する上田交通が有名ですね。
なお車内は倉庫の代わりになっている模様。

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特徴的な先頭部。
前面が終わるとすぐに乗降扉で、中央運転台で客室との仕切などもないので乗務員室扉は装備しません。

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乗降ドア下には、軌道線区間で展開される折畳式ステップを装備。
動作機構もよくわかります。空気式でしょうか。

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台車は旧来の釣り合い梁式を装備。
小型台車と小径車輪を持つ路面電車用車両とは異なり、高速電車規格の台車を履く高床車です。

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屋根上にはパンタグラフを装備します。

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反対側の先頭部に行ってみましょう。
旧型車ながら総括制御が可能で、前面にはジャンパケーブルなどが目立ちます。晩年は残った3両を全部繋いで「丸窓3重連」なるスペシャルな列車も走ったそうな。

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此方は保存地の地名「金町」(こがねちょう)のサボが差されています。
「かなまち」と読んでしまうのは関東人だからですかね。

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円筒形の先頭部とライトまわり。
なるほど、パノラマスーパーの起源は此処にあったか…

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美しいローマン書体のナンバー。

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クリスマスシーズンが近かったためか保存場所には電飾が施されていました。

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車両は普段柵の中に保存されていますが、前には線路が敷かれています。時には此処まで出てくる事もあるのでしょうか…?


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子供たちが集う公園に保存されています。
路面電車を知らない今の世代の子供たちは、おじいちゃんおばあちゃんよりもさらに昔に誕生したこの電車を見て何を思うのだろうか…

次は綺麗になった姿を見てみたいですね~(晴れてりゃ最高)。
この日チロチロ雨と言うか雪っぽいのが舞っていました。

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モ513の背後には、金(こがね)神社があります。名前の通りの金色の鳥居が目を引きますね。
旅の平穏を祈って、岐阜を後にしました。

次回に続く…
2日目篇は次回で最後(のはず)です。

名古屋遠征2(08)2-2・名鉄電車を撮る!その2(2日目篇)

こんばんは
今年も残すところあと僅かとなりましたがとりあえず平常運転でどんどん記事化して行きませう。お待ちかねの遠征レポート。

前回の続きであります。

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2208F
豊明から2駅先の、名古屋遠征2016の折に訪問した一ツ木カーブのポイントへ。

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5006F
かつて機器流用車を多数連発した名鉄が再び世に送り出した平成の機器流用車、5000系。
3000番台のVF車のように2両増結車が無いので4両か8両しか組めず基本的に普通列車やごく一部の優等列車でしか見られないのが残念なところ。日中あまり使われない1800とかくっつけて見ては如何?(編成内で乗車率が極端に偏ること請け合いである)。

イメージ 3
3527F
しかし、先程まできれいに晴れていたのに曇っていました。
名古屋遠征の大半はこのような不安定な天候に苦しめられました。

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3172F
2017年度増備の最新編成です。

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6424F
6500系の最終増備編成ではデザインが大幅に変更されています。
相鉄7000系と新7000系のような関係ですね。

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2333F
1700系特別車に合わせて製造車された一般車部分。
完全新造編成の2200系と較べて前面中央部の窓が目立ちます。

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1112F
パノスパリニューアル編成もかなり多くなりました。

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3705F
大多数のVVVFの中で、僅か4連×5本のみの小所帯である3700系。

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3158F+31xxF
銀赤2両ずつの混色編成による西尾線直通急行。
晴れてきました。

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6028F
そして現れた6000系!
本線系統の淘汰進行及びワンマン線区への転用により、名古屋本線で走る姿を見る機会も少しずつ減っていますね。

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1115F
そしてついに現れたパノスパ原色!!!
でしたが…ピントを弱冠外すという失態。あーあー。

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3515F
更に直後に曇りだすと言う有様ですっかり意気消沈したため撮影は打ち切って音鉄に徹する事に。

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6008F
一ツ木駅を通過する豊川急行

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5005F
これに乗車。

途中で特急に乗り継いで東岡崎へ
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先程の6028Fが停車していました。

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毎年この時期に、名鉄の鉄道部品即売会が開催されるようですが残念ながら自分が帰った後の様です。残念。

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1112F
パノスパリニューアル編成。特別車はフルカラーLED表示にしたのに一般車側は幕式のまま残ると言う何とも中途半端な仕様です。

この後は3100系の旧江に揺られたりして国府まで往復したりし、途中で名古屋方面行快速特急に乗り換えて名古屋へ戻りました。

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乗車した2200系(神宮前にて)。
新安城通過時にミュージックホーン吹鳴がありました。モーター音が凄くてよく聞こえませんでしたが思わず車内でニンマリ。

さて、遅めのお昼としよう。
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この日の昼食は神宮前駅構内の駅蕎麦にて。

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きしめん+味噌カツ定食と言う名古屋の名物を一度に味わえる抵触セットがあったので迷わず注文。とても美味しかったであります。

さて、昼食後も撮影…
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3102F
少し気分を変えて岐阜方面、妙興寺~島氏永間のポイントへ。よいですなぁ…

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…と思ったら次の瞬間曇りやがって以降晴れる気配なしなのですっかりやる気が無くなり此処で撮影打ち切りに。今回の遠征は(撮影に関しては)とことん運が悪いなぁ。

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やってきた普通列車で名古屋本線を北上します。さぁ何処へ行こう…

気になる続きは次回。
今年中に遠征記事を書けるかどうか微妙ですがまた来年もどうかお付き合いください
m(__)m

名古屋遠征2(07)2-1・名鉄電車を撮る!その1(2日目篇)

こんばんは
今年も残すところあと僅かとなりましたがとりあえず平常運転でどんどん記事化して行きませう。お待ちかねの遠征レポート。

一日目はコチラより
今回より2日目記事に。

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初日は廃線探索の一日で殆ど名鉄に乗っていませんでした(上飯田⇔小牧の往復だけ。しかも名鉄っぽくない名鉄車両)が、この日より2日券を購入し名古屋での名鉄ライフ(?)スタートです。

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名古屋を出たのは朝9時。特急車には増結車1800系がくっついていますが、それに乗車して辿りついた先は…

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東岡崎駅の北口は昔ながらの駅ビルが残っています。
「岡ビル百貨店」の文字が時代を感じますね。

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東岡崎駅から名古屋方向に少し戻った、乙川の鉄橋の前の踏切で撮影スタート。
この辺りでは矢作川・乙川と川を頻繁に渡ります。

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新型特急車2200系も全編成新塗装に変更されたようです。
大きく号車表示が書かれた旧塗装もよかったですが、赤帯入りの新デザインも中々。

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2両固定の3100系。特急の増結から普通まで幅広く使用。

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界磁チョッパ制御の通勤車6500系も現役。一部は固定クロスシートと言う通勤車にしては豪華な構造。

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お待ちかねのパノラマスーパー!!!しかもパノラマカーからの機器流用編成1030系です。
しばらく名古屋にいない間に、3本中2本が廃車され残りはこの1本のみとなってしまいました。

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1030系の後ろは1800系…でしたが、1000系で行われているリニューアルは1800系にも波及したようで、2連の新塗装が登場していました。混色もよいですがやはりパノスパ原色が来た時は統一であってほしいもの…

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後ろに3100系を従えた凸凹6連。2両固定の連結位置はあまり統一されていないようですな…

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そしてここでの目的はコレ!
優等列車用として登場したものの相次ぐ3扉車の増備により徐々に追いやられ、一部を除いて普通列車に細々と使われるのみとなった2扉NSR車。かつて名鉄の主力だった2扉転換クロスシート車もいよいよ終焉の時が近づいているようでした。

ちなみにこの列車、自分が載って来た特急よりも先に名古屋を出ますが、東岡崎に到達するのはかなり遅れてとなります。名鉄の普通列車は優等列車の待避が非常に多く、隣の駅や近隣の普通のみ停車駅同士の乗車でもない限りは優等列車を捕まえて乗った方が非常に早いです。

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パノラマスーパーのリニューアル車…ですが、やはり自分は原色の方がすきだなぁ。
これも悪くないですが。

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ステンレス通勤車は名鉄に於いてはまだ比較的少数派で、大体どっちかが赤なのでオール銀と言う編成は割と珍しいように思えます。

さて、此処で撮影を終了し次なる目的へ、
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東岡崎駅近くの交差点。自転車専用の横断歩道(横断車道とでも言うべきか)と信号機が設置されています。関東ではあまり見ない光景ですね、

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東岡崎駅に戻り、先程到着していたNSR車の普通に乗車。
到着から折り返しまで30分近く待機時間があるので今回狙ってみました。

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戦前の車両(一部を除く)から脈々と受け継がれてきた、2扉・転換クロスシートの車内。
名鉄に於いてはこのNSR車が最後となるでしょう。

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先頭車車内の再前部。

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運転席を2階に上げたパノラマカーとは異なり通常の運転席高さですが、助手席側の前面ガラスと仕切窓を拡大し前面展望に最大限配慮している所がパノラマカーを生み出した名鉄らしいですね。

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ナンバー。
名鉄特有の、美しいローマン書体によるものです。

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製造プレート。
昭和61年製と、現在最古参の6000系よりも遥かに新しいですが2扉車故に6000系列よりも早期の廃車を余儀なくされる…

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側面方向幕。

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このNSR車の普通に揺られて豊明へ。
やはり転クロ車は快適ですねぇ…

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豊明駅を通過するパノラマスーパー。

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優等列車の待避も終日行い、車両基地もありこの駅止まりの列車も多い豊明駅ですが何と無人駅(駅員がいないだけで運転取り扱いの係員はいる模様)。島式ホーム3面6線と日本で一番ホーム数が多い「無人駅」であるとの事。

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構内には豊明検車区が併設されています。
以前訪問した時は隠れていた、名鉄の新型電機EL120はこの日は見える位置に止まっていました。しかし自分が名古屋に滞在した間は微動だにしなかったようで。

次回に続きます。

名古屋遠征2(06)1-6・桃花台線廃線探索3~哀しみのニュータウン鉄道~

こんばんは
今年も残すところ1週間余りとなりましたがとりあえず平常運転でどんどん記事化して行きませう。お待ちかねの遠征レポート。

前回の続きです。

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桃花台線の高架に沿って進みますが…
歩道が途中で通行止めに。

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!?

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!!!!!!!!!!!!!!!
↑声にならない悲鳴

何と、高架橋の一部が取り壊されていました。
廃止後10年に渡って放置されていた廃線も、今後15年程度かけて全面撤去される方針となったようです→参考リンクhttp://www.decn.co.jp/?p=76751

そして2017年度以降、今度は小牧駅部分の撤去も開始されるとの事で、特徴的なループ線や駅が拝めるのもあとわずかとなりそうです。今回の名古屋遠征で、桃花台線を見ておこうと思ったきっかけの一つです。

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終点に着く少し手前で中欧自動車道の上を越えますが、まず手始めにその部分から撤去が開始されたそうです。

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そして終点、桃花台東駅到着。

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桃花台東駅に到着する直前で高架線が途切れています。
廃止後10年を経ても全7駅が手を繋ぐように繋がっていましたが、寸断されて一人ぼっちになった駅からはいよいよ最期の時が迫っているような雰囲気を感じます。

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駅前の信号ですが、やはり桃花台東「駅」前と「駅」と言う名称が残っています。
まぁ「駅前」と言うのは間違いないのですが…

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そして終点なので、列車の向きを変えるループ線があります。

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桃花台駅全景。ホームは島式1面2線のシンプルな構造です。
未来志向の乗り物と共に歩道橋なども整備され、当時は未来都市のような風景だった事でしょう。

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桃花台東駅のループ線。
崖っぷちに建設されているため、非常に長い支柱が特徴です。

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ループの付け根付近をよく見ると、何やら分岐みたいなものが。
実はこれ、将来的にJR中央線高蔵寺方面への延伸を計画していたため建設時に延伸用の線路を取り付ける部分を準備していたそうな。
しかし延伸はおろか路線の維持すらままならず廃止になって仕舞いましたが、名古屋中心部に直結しているJR中央線に接続していれば少しは違う未来になったでしょうか。

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延伸する予定だった高蔵寺方面をループ線と共に望む。
結構いい眺めですが、ループ線部分は一般利用者は乗車できなかったのだ少々残念です。
夜景ツアーと銘打って、普段は乗れないループ線上で停車して夜景を楽しむ…なんてイベント列車が走ったらおもしろかった事でしょう。

延伸計画が幻となって10数年余り。今度は桃花台線そのものも消えゆく運命に。

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ループ線の下には利用者向けと思われる自転車置き場がありました。

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そして駅の入口側へ。
桃花台西駅同様駅の片側は道路、もう片方は駅前広場となっています。

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駅舎は桃花台西駅などと同様です。

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ホームは3階部分に相当する部分にありますが、エスカレーターやエレベーターは設置されていなかったとの事。建設当時はまだバリアフリーへの意識が余りなかった時代と思われるので致し方ないですがやはり階段を上る人からは敬遠されてしまいそうですね。
車両は全長10m弱・両開き1扉だったのでホームドアもそれに合わせて4か所あります。

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前述の通り、高架線は桃花台駅の手前の、中央自動車道を超える個所で撤去されています。

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何の前触れもなくぷつっと途切れてしまう高架橋は物悲しさを感じます。

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かつて利用者でにぎわった駅前広場も今は時折人が通るのみ。
花壇の花は手入れがされているようで綺麗ですね。駅前には小さなバスロータリーがあります。

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閉ざされた駅舎。
次に人が入る時は最期を迎える時なのでしょうか…

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途切れた高架線。

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離れたくないと、手を伸ばしているようにも見えた。

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駅道路側の歩道橋の上より。

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迫る夕闇の中立ち続けるループ線。

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中央自動車道に沿った遊歩道より桃花台東駅を望む。ただ解体を待つだけの廃墟には見えないですね…
因みに駅からここまではノンステップです。当時の人々から見たら、ニュータウンと一体化した未来志向の交通機関という画期的な存在だった事でしょう…

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さて、遊歩道をしばらく進むと中央自動車道を超える歩道橋があるので渡ります。
今まで車両基地に関する記述がありませんでしたがちゃんとあります(正確にはあった)。
桃花台東駅の北方に本社と車両基地が併設されていましたがご覧のとおり既に解体撤去され駐車場と空き地となっています。

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桃花台新交通自体は2007年に解散。この本社兼車両基地の敷地は2007年と廃止後割と早い段階で撤去されました。
車両も、一部が個人に売却された以外はすべてスクラップになったとの事。ゆりかもめ等とは方式は勿論ドアの位置なども全然異なりますので譲渡も容易ではなかったのですね。

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さて、先述の桃花台線撤去工事に関連して、一部の遊歩道に支障しており迂回ルートが設置されています。それが…

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舗装され緑のシートが敷かれて少々わかりにくいですが、この道はもともと桃花台線の本線から車両基地へと繋がる入出庫線です。
桃花台線の上り線(小牧方面行)から分岐して(桃花台センター方向から見て)6の字を描くようにループ線で下り、本線の下を直角にくぐり抜けて車両基地に繋がっていました。
よって出庫列車はバック状態で(営業運転時に先頭になる車両とは逆側を先頭に)車庫から出て桃花台東駅に向かう形となっていました(一応簡易運転台が設置されていた)。

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今のところ、桃花台線の廃線を「合法的に」歩ける唯一の区間となっています。
車両企画が小さかった桃花台線ですが、本線をくぐる部分のトンネルは結構大きいものでした。

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距離標と勾配標?が残っています。ただの歩道橋かと一瞬見落としそうになりましたが、かつて鉄道が走っていた証が小さいながらも残っていました。

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車両基地側を望む。
此処は桃花台線の車両が初めて走り、また最後に走った区間でもあります。

外観は、上から4枚目の写真の中央自動車道の手前に写っているコンクリート橋がそれです。

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入出庫線から見る桃花台東駅。
包丁で切られた様にストンと切り落とされ、軌道の断面が見えています。

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入出庫線から見る小牧駅方向。

さて、桃花台線車両になったつもりでトンネルを抜けませう。ゴトンゴトン。
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トンネルを抜けると目の前にクレーン車が鎮座しており(訪問美は旧j地のため作業はお休みだった模様)、桃花台線の廃線を歩ける区間は割とすぐに終わってしまいます。

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う回路はトンネルを抜けると桃花台線に並走し始めます。

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途中で振り向くと、本線(左)に沿ってもう一本線路の跡(中央)が。
これが入出庫線の分岐部の跡です。その直下辺りにある掲示板に桃花台線撤去工事の工事だよりが写真付きで貼られていました。

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小牧方面へと向かう高架橋。
これもじきに撤去されてしまうのですね…最後の最後で訪問で来てよかったです。

イメージ 40イメージ 39
本線からの分岐部と、遊歩道のう回路となっている部分以外の入出庫線はすべて撤去され更地になっていました。

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最後に、工事の看板を撮って探索は終了。
すっかり暗くなってしまったので、小牧へと戻る事としませう。

記事であんまり書いていませんが、かなりアップダウンが激しいです(特にニュータウンに入った後)。最近自転車に乗っていなかったのですっかり身体がガタガタになってしまいました。
あとライトの調子が悪く焦りましたが(桃花台西過ぎた辺りで治った)何とか無事に小牧までたどり着き、自転車を返却して名古屋中心街へと戻りました。

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帰路に一枚だけ。
日が暮れた後の小牧原駅。

さて、桃花台線廃線探索は如何でしたでしょうか。
近未来的な志向で一世を風靡しましたが、様々な不幸が重なり短命に終わってしまった桃花台線「ピーチライナー」。鉄道を敷くことの難しさを、改めて世に知らしめてしまったこの路線は、消えて行く日を待ちながら訪れる人にかつての繁栄や、この路線に託された期待を静かに伝えていました。

先述の通り、廃止後10年間放置されていたこの路線も遂に撤去の方針が固まり今後解体・撤去が加速するものと思われます。特に高架区間は撤去されてしまうとモニュメントでも立たない限りそこに何があったか一切判らなくなってしまいます(わからなくなった例)。

記録を予定している方はお早めに。
また訪問時は軌道内(合法的に歩ける区間を除いて)や駅舎内など立入禁止区域には絶対に立ち入らないように注意しませう。


○桃花台線廃線探索のポイント(自分なりに)
・小牧駅前のレンタサイクルを使うと便利(無料だが身分証が必要)→リンク
・アップダウンがかなり激しく、往路は長い上り勾配がある
・徒歩でも行けなくはないが全長7kmあり駅間距離が2km近くある個所も。往復どちらかはバスを使うとよさそう
・名鉄と別れてしまうとコンビニなどは結構少ない(がニュータウン内に入れば商業施設などがある)
・国道155線は交通量が結構あり、大型車もそれなりに走る。久々の自転車だったので結構神経を使った。


この拙い記事でも、探索の手助けなどになると幸いです。


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最後までご覧いただき、ありがとうございました。
引き続き、名古屋遠征Ⅱレポートをお楽しみください。

名古屋遠征2(05)1-5・桃花台線廃線探索2~哀しみのニュータウン鉄道~

こんばんは
今年も残すところ1週間余りとなりましたがとりあえず平常運転でどんどん記事化して行きませう。お待ちかねの遠征レポート。

前回の続きです。
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国道155号線の直上を東に向かう桃花台線の廃線。
地元の人と鉄道マニア位しか、これを廃線だと認識できない事でしょう。遠方から来るドライバーの皆様はこの高架を何と認識されているのだろうか。

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ほどなくして、最初の単独駅、東田中に到着。

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駅舎は国道の真上にあり、駅舎から伸びた通路で歩道に降りると言う構造です。

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駅への出入り口は鉄板で塞がれています。

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駅名板が残っています。

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エスカレーターやエレベーターの類は無いので、やはりお年寄りなどはバス利用の方が楽で便利だったのかもしれませんね。

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お食事中のピーチバス

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さて、東田中駅の次は上末駅。
東田中から1.5kmと地味に駅間距離があります。自転車にしておいてよかったなぁと。
沿線は田園地帯と工場です。

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駅入口。
此処も駅名板が残っていますが入口は鉄板で塞がれています。

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駅構造は東田中と同様です。
現役施設と言っても信じてもらえそうな雰囲気ですね。

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さて、上末駅を出ると長い上り坂に突入。

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ゴムタイヤの桃花台線は楽々登って行った事でしょうが、チャリの自分はヒーコラ言いながらえっちらおっちら登って行ったのでした。気温も比較的高かったので12月にもかかわらず汗だくに。

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坂を登りきったところにあるファミマで麦茶を買い求めてがぶ飲み。
その辺りから桃花台線は左にカーブします。

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国道と県道が分岐するポイントですが桃花台線はそれらを乗り越して北寄りに進路を変え、いよいよニュータウンへ入ります。

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桃花台線の廃線とピーチバス。

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ニュータウンに入って初めての駅が桃花台西駅。

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駅前の信号には桃花台西「」前と、廃線から10年がたった現在でも駅の文字が入ります。

駅入り口は道路と反対側だったので、急な坂を上って行ってみました。
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1階が駅舎で2階がホームと言う構造です。

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駅名板も色褪せながらも残っています。

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かつて多くの乗客を迎え入れていた駅の入口も、現在ではシャッターが下ろされ人の進入を拒んでいます。

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駅全景。
ホーム階は、ホームドアによって完全に線路とは遮断されています。近年ホームドアが普及していますが、それを20年以上も前に全駅ホームドア設置で先取りしていた桃花台線はやはり未来志向の乗り物だったのかなと。早すぎたのですかね。

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駅前には広場があり、近所の子供たちが遊んでいました。
彼ら、彼女らは桃花台線をどれくらい知っているのだろうか…

ちょっと聞いてみたりしたかったのですがこのご時世、挨拶したり道を尋ねただけで通報される(らしい)ので自重。世知辛い世の中になりましたねぇ。


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道路側の歩道橋から見た桃花台西駅。

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桃花台西駅を出ると、いよいよニュータウンの中枢へ。
背の高いマンション等が目立ち始めます

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途中で右にカーブし、南東方向に向かいます。
かつて、この近くにある桃花台西公園では桃花台線車両の基となったVONAの試作車両が展示されていましたが窓が割られるなど荒廃したため撤去されたとの事。ネットで画像を調べたらなかなか面白い形でした。

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商業施設の看板やマンションが立ち並ぶ中へ桃花台線の廃線は向かって行きます。
高架だったのが地上に降り更には地下へ。

イメージ 27
大通りから商業施設「ピアーレ」内に入ります。
ロータリーには「こまき巡回バス」が発着します。

イメージ 28
「ピアーレ」の隣にある、シャッターの降りた白い建物が桃花台線の「桃花台センター」駅です。

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前の写真の反対側へ。駅名が残っています。
小牧駅と共に桃花台線では2駅しかない有人駅で、地下にホームがあります。
利用促進策として、利用者が本を借りたり貰ったりできる「ピーチらうんじ」という施設もあったとの事。

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駅名は雨垂れで汚れてしまっています。
廃止からの長い年月を物語っていますね。

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駅に直結して、商業施設「ピアーレ」があります。
沿線に商業施設があるとそこを通過する交通機関の乗客も増えますが、桃花台線の場合は商業施設がニュータウンのど真ん中にあり、ニュータウンの住民はわざわざ桃花台線に乗らずとも自転車や徒歩で簡単にアクセスできるのでやはり桃花台線の利用が伸び悩んだのかなぁ…と。

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この駅も、商業施設から雨にぬれずに駅まで直結すると言う便利な構造でしたが…
片方の入口は無慈悲にシャッターで閉じられています。

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目まぐるしく動く人々や社会の中で、静かに眠る駅。
再び、人々の笑い声に包まれる日を願って…


なんて言うと泣きそうになりますね…

そんな思いを抱きながら、桃花台センター駅を後にします。

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桃花台センター駅を過ぎると、地下から再び地上に出てきます。

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フェンスの外より軌道を撮ってみました。
中央の案内軌条はすべて撤去されているようです。

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そして再び高架へ。
ぐいぐい登って行きますがゴムタイヤだったのでこんなのヘッチャラだった事でしょう。

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フェンスの隙間よりコンデジで撮ってみました。

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桃花台線が走る線路沿いの壁には、子供たちが描いた桃花台線の絵が。
未来の乗り物としてこの絵を描いた子供達を育み、その子たちは今は立派な大人になっている事でしょう。
彼らは、生まれ育った地に走っていた未来の乗り物の事を時にふと思い出すことはあるのでしょうか…




次回、衝撃の事実が判明。お楽しみに…

名古屋遠征2(04)1-4・桃花台線廃線探索1~哀しみのニュータウン鉄道~

こんばんは
今年も残すところ1週間余りとなりましたがとりあえず平常運転でどんどん記事化して行きませう。お待ちかねの遠征レポート。

前回はコチラ

お濠電車の散策を一通り終えた後は、「ドニチエコきっぷ」利用で平安通へ出て…
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全長800m余りの(距離的に)ミニ地下鉄、上飯田線を経て名鉄小牧線へ。
20M4ドアと言う関東の大手私鉄を思わせる名鉄らしからん車両であると同時に一部が転クロと言う名鉄らしい車両に揺られて15分余り。

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小牧駅に到着しました。

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駅舎の西口には名鉄小牧ホテルが併設され、近隣にはショッピングセンターもある小牧市の中心地です(市役所は少し離れているようである)。周辺は小牧・ながく手の戦いの舞台となったり県営名古屋空港が所在したりと様々な分野で楽しめます。

が、それらは次回訪問時の楽しみとしておく事にして、今回の目的は逆側の出口である東口にあります。

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東口側へ。
高架橋を載せた建物がドカンと立っていますが確か名鉄小牧駅は地下の筈…

これが今回の訪問の目的
「桃花台新交通桃花台線(ピーチライナー)」
です。小牧駅~桃花台東間の路線です。

さぁさ、乗ってみましょうか…
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と思ったらドアには閉鎖中の貼り紙。ひと気も全くない。
一体どういうことなのだ…

そう、桃花台新交通は訪問の遥か前、10年前の2006年に廃線となっているのです(勿論知ってて行った)


桃花台線は、1991年に開業した新交通システム(要はゆりかもめの親戚)で、小牧市の中心市街地と市東部にある桃花台ニュータウンを結ぶ目的で建設され、新時代の交通機関として注目を浴びましたが、

・他路線は小牧駅で接続する名鉄小牧線以外なく、その名鉄小牧線も桃花台線開業当時は名古屋市中心まで繋がっておらず不便。よってバスやマイカーで比較的近隣のJR中央線方面に乗客が流れた。
・ニュータウンの人口が当初予想よりも少なかった。
・沿線施設が乏しい

等の理由で利用者は伸び悩み、愛称のピーチライナーをもじって「ピンチライナー」と言われるほど苦しい経営を強いられました。それに対しては

・運賃の値下げや、共通カード(関東で言うパスネット)システムの導入
・沿線巡回バスとの提携
・名鉄小牧線の不便さは、2003年に上飯田~平安通間が開業し幾分は改善された

などの経営改善策を行いましたが既に手遅れで、開業からわずか15年後の2006年9月30日に力尽きるかたちで営業最終日を迎え、翌10月1日に廃線となりました。

廃止後に残った軌道は何らかの活用法が模索されていましたが頓挫し、廃止後10年を経た2017年現在も放置されています。

参考…wikiなど


鉄道を敷くことの難しさを、改めて世に知らしめてしまったわけですね。
そんな「負の遺産」と言うべき存在となってしまった桃花台線廃線跡は廃線から10年が経過した2017年現在も残り、静かに眠っています。

名古屋遠征2016の記事で少しだけ触れましたが、今回ようやく探索する事に。

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名鉄小牧駅と桃花台線小牧駅は隣接しています。
名鉄の地下駅から階段を上ってくるとすぐに桃花台線小牧駅の入口がありましたが、シャッターが固く閉ざされています。

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入口上には現在でも「桃花台線小牧駅」の駅名板が残されています。

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此方は自由通路に面した、正面口とでもいうべき存在でしょうか。
此方はシャッターは閉じられていませんが「閉鎖中」の3文字が人を遠ざけています。

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此方の駅名板の「桃花台線」の部分はガムテープで隠されていました。

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此方はバスターミナル側の入口。3方向に入口があるのですね。
「桃花台線小牧駅」の文字が駅舎に残ります。遠目に見ると現役施設と間違えてしまいそう。

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此方も駅名板の「桃花台線」の部分は隠されていますがガムテープがはがれかかっています。

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駅前に発着するのは、桃花台線廃止後の代替輸送を担う「ピーチバス」。
桃花台線廃止後にピーチバスが運行開始した際には家の近くまで来てくれるようになって寧ろ便利となったと言う声があったとか。

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ロータリー前の高架橋には「小牧駅→」の看板が。
小牧駅の入口が→の方向なのは間違いないのですが、恐らくこの矢印が誘導しているであろう「小牧駅」はもうないのである…

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さて、小牧駅から少し南下すると桃花台線の終端部に当たるのですが…

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桃花台線一番の特徴、「終端部のループ」線です。
終点に到着した列車はそのまま進み、このループで方向を変えると言う非常にユニークな方式で、費用削減のため折り返しに必要な設備を省く事をねらい採用されたといいます。これに合わせて列車側の運転台も片側の先頭車のみで、乗降用ドアも進行方向右側にしかありません。なので列車は営業運行中常に同じ方向に進む事になります(判りにくい場合はグー○ル先生等に相談を)。

確かに導入コストは削減できそうですがループ部分の保守などを考えるとどうなのだろう…と考えましたが実際どうだったんでしょうか。

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さて、探索を開始しませう。

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小牧駅。軌道が3本有るのがわかりますね。
一番左が、ループを廻って来て方向転換した列車が通る下り線、中央と右が到着した列車がループに進入する上り線です。
ホームは、通常使うホーム(左と中央の間)と、降車専用ホーム(中央と右の間)の2面3線構造だったようですが降車専用ホームは使われることは無かったとの事。

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乗降ホームを歩道橋より眺めます。
エスカレータ等が設置されていたようです。

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列車の来なくなったループは、10年が経過した現在もむなしく弧を描き続ける…

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歩道橋の下にも桃花台線小牧駅の案内板が。
ひょっとしたら名鉄小牧駅の案内板よりも多いのかも…?

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名鉄駅ビル(左)と桃花台線小牧駅(右)の間の通路。
雨の日でもぬれずに名鉄から桃花台線へ、その逆も可能と利便性は抜群でしたね。

さて、これから桃花台線の廃線探索を始めるわけですが、全長約7kmあるので徒歩で巡るにはとても時間がありません。小牧駅近くにレンタサイクルがあることが判ったのでそれを利用する事に。
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駅の観光案内所で場所をたずね、駅近くの駐車場にレンタサイクルがあると教えて頂いたのでそこに行き自転車を借りました。駐車場に居る係員氏の所で住所と氏名を書き、鍵を借りて出発!たいせつに使いませう。

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自転車で出発すると、早速高架橋に当たります。
これほど判りやすい廃線跡って中々無いですね(いやむしろ現役と見間違って見過ごすパターンかも)。

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小牧駅を出たところ。桃花台東寄りを向いています。
線路はやや北東方向に走ります。上り線(手前)が2つに分岐しているのが判りますね。

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小牧駅から300m程の信号で右にカーブします。
この地下を名鉄小牧線が走っています。現役路線が見えなくて廃止路線がこのように堂々と存在する風景も中々…

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裏道に沿って高架橋が続きます。名鉄小牧線もこの辺りで地上へと顔を出します(橋脚わきのコンクリート壁がそれ)。

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さて、スタートから高架だった桃花台線ですが此処で一気に高度が下がって地上に降ります。その先には…

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東名高速道路が横切ります。桃花台線と、地上に出てきた名鉄小牧線は東名高速の下をくぐる形で通過します。

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東名高速道路の北側には歩道橋があります。
桃花台線を俯瞰できる数少ないスポットです。ご覧のように名鉄小牧線と並走。

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さてここで初めて桃花台線の線路を見る事が出来ました。
桃花台線は「VONA(ボナ)」と言うシステムが採用されており、軌道の中央に案内軌条が設けられています。札幌市営地下鉄と似た方式ですね。
ゆりかもめなど日本で多く採用されている、軌道の両側面に案内軌条がある方式とは異なる方式で、桃花台線の他に千葉県の山万ユーカリが丘線が有名です(開業はユーカリが丘線の方が先で桃花台線廃止後は唯一)。

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小牧線の電車がやって来ました。
桃花台線開業時は古いHL車とかも走っていたかもしれないので、ガタピシ言いながら走るツリカケ車と、軽やかにはしるピーチライナーの並走とかも見る事が出来たのでしょうか…?

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そして東名高速を抜けると桃花台線は再び高架に駆け上ります。
駅が見えてきました。

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桃花台線最初の駅は小牧原駅。

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ホームは高架ですが、駅舎は地上にあります。

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入口上にあったと思われる駅名板は喪われ、入口はシャッターが閉ざされていました。
駅前は自転車置き場となっているようです。

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入口の脇には、始終発列車の時刻案内表が残っていました。
終車が23時代と結構早く感じます(終点に着いたのは日付が変わった頃か)。時間的に見て小牧駅での夜間留置は無かったようですね。

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すぐ近くに名鉄小牧線小牧原駅があり此方は盛業中です。

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さて、小牧原駅を出ると桃花台線は大きくカーブを描き、名鉄小牧線の高架をさらに高架で乗り越して東へと針路を変えます。※小牧駅方向を向いて撮影。
何かの巨大生物みたいな雰囲気ですね。

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桃花台線は東に舵を切り、国道155号線の直上を走ります。

さて、今までも面白かったですがこれからも面白いところ。次回に続きますのでお楽しみに…

名古屋遠征2(03)1-3・お濠電車の痕跡を辿る~2

こんばんは

10日ばっかり放置プレイしましたが落ち着いてきたので再開するとしましょう。お待ちかねの遠征レポートです。

前回はコチラ

お濠電車廃線探訪は続く…

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お濠電車区間で一番有名なスポットと言えば此処でしょう。名古屋城の外堀の角に沿って半径60メートルの急カーブを切る区間、ヤードポンド法の3チェーン(1チェーン=約20m)から「サンチャインカーブ」と呼ばれる有名なスポットです。ネットで調べると此処をそろりそろりと曲がって行く列車の画像がヒットします。
線路は比較的奥、内側の壁に沿って曲がっていたようです。何となく盛り土が残っているようにも見えますね。

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昔此処で電車を撮った方とほぼ同じ場所でシャッターを切ってみましたが、木々に阻まれ全系は写りませんでした。廃止から40年余り、線路跡が自然に還りゆくのと同時に此処に電車が走っていたという記憶も薄れて行ってしまうのでしょうか…

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さて、サンチャインカーブで南北から再び東西方向へと針路を変えます。
この付近で、地下を走る瀬戸線新線区間と別れます。

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サンチャインカーブを越えた先に、かつて久屋駅があったとされます。
東大手(旧)駅と同様戦時中に廃止されています。

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久屋橋。
この下を廃線跡はくぐっています。

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久屋橋の上から尾張瀬戸方向を望む。
戦時中の廃止であるため、やはり痕跡は残っていないようですね。

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久屋橋の上からサンチャインカーブを望む。

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久屋橋のあたりから栄のテレビ塔が見えました。

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さて、再び堀川方向を向いて進みます。
廃線跡には木が倒れてしまっています。

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さて、久屋駅から割とすぐに大津橋に差し掛かります。
県庁・市役所など行政の中心地に近く交通の要所うでもあります。この付近に、お濠電車の大津町駅がありました。さっそく見てみませう。










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お、おぉ…

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と思わず歓声が出てしまいました。
何と、駅に至る階段がそのまま残っています。

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これがお濠電車区間最大の遺構、旧・大津町駅跡です。
ホームは相対式2面2線で、渡り線があり列車の折り返しにも対応。上りホーム(階段を下りた先)には大きめの駅舎があったとの事。
当時運転されていた特急をはじめ大半の列車はこの駅を起終点としたお濠区間の拠点駅で、県庁・市役所などや栄にもほど近く、市電や市バスの停留所も近隣にあり乗降客はかなり多かったようです。

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今は階段以外何も残っていませんが、かつては瀬戸電を始め市電などが頻繁に行き交い交通の要衝として大いに賑わっていた事でしょう。
賑わいは現在でも相変わらずですが、地上を走っていた電車はすべて姿を消してしまい寂しさを感じますね。


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尚、階段は柵がしてあり立ち入ることは出来ません。
勿論のことながらすべて歩道から見学しています。

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尚、旧駅の敷地は廃止から40年以上を経た現在でも名鉄が所有しているようです。

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名鉄は「大津町」でしたが交差点・市電・市バスの停留所は「大津橋」となっています。

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堀川方より大津町駅跡を望む。
橋の下までホームがあったようです。

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階段は廃止から長い年月がたち、かなり劣化が進んでいるようでした。

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駅の廃止から40年、現在はヒメボタルの憩いの場となっているようです。

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さて、お濠電車廃線跡のハイライトを見ましたが廃線跡はまだまだ続きます。

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橋が見えてきました。

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大津橋から数百メートル、「本町橋」に辿りつきました。
この橋の東側(大津町寄り)に本町駅がありました。

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本町橋より駅の遭ったと思われる場所を見ます。草に覆われてしまっていますね。
相対式ホーム2面の単純な構造だったようです。

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さて本町橋をくぐる個所ですが、どんどん幅員が狭くなっています。

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反対側(堀川方)より。
橋をくぐる穴がありますがどう見ても単線分の幅しかありません。

この本町橋、橋の下のスペースが単線分しかなかったため「ガントレット」と呼ばれる方式で通過していました。
ガントレットとは、説明が非常に難しいので図にしました。
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この図のように、複線を重なり合わせる事で単線分のスペースでも通過でき、尚且つポイントのような可動部も必要無いと言う大変便利なものですが、複線区間ながらも両方向の線路に跨る事となるので当然この区間ではすれ違いが不可能と言う最大のデメリットがあります。
日本でも少数ながら採用例がありますが、お濠電車区間の廃止により営業線上では全廃されています(現在では車両基地の奥にある場所があるらしい)。
実物を見てみたい方は「瀬戸電 ガントレット」でググってみてください。きっと感動します。

このガントレットの制約と、ほぼ並行して市電が走っていたためお濠電車の大津町~堀川間は都心部ながら40分間隔でしか電車が来なかったとの事です。

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本町橋は石積みです。
こんなに狭い所を電車が走っていたとは…タイムスリップして見てみたくなりますね。

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さて、本町駅を過ぎていよいよお濠電車最後の区間へ。

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橋が見えてきました。新御園橋です。

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続いて見えてきたのは御園橋。
県図書館へ渡る道です。

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御園橋

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その御園橋の西側にあったのが、お濠電車の起点・堀川駅です。
瀬戸線沿線で生産される陶磁器を、建設当時盛んだった堀川の水運によって運搬するため堀川の手前である此処まで1911年に路線が敷かれました。
戦後、水運の衰退や市電が並走していた事もあり利用は少なく、栄町乗入れによるお濠電車区間廃線に伴いこの駅も廃止となりました。

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線路の終端部付近より(敷地外より)。
駅跡は駐車場となっていたようですが訪問時は何もありませんでした。相対式2面2線の駅だったとの事ですが、やはり遺構は何も残っていませんでした。南側に駅舎があったようです。貨物の積卸設備があったのか構内は結構広かったです。

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駅跡の近くには景雲橋公園という小さな広場(矛盾)があり、地域住民の憩いの場となっていました。

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電車で運ばれてきた陶磁器を船に積み替えていたであろう場所には家などが建っており、駅跡から堀川を望むことは出来ません。

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かつて行き交う船でにぎわったであろう堀川。
今は船の影一つなく、輸送の新たな主役となった自動車の走る轟音が響き渡ります。

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景雲橋より堀川下流を望む。
かつて瀬戸でつくられた陶磁器は此処から水運により港まで運ばれ、海外へと旅立って行った事でしょう。此処が陶磁器にとって世界への中継点だった事にロマンを感じますね。

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景雲橋より堀川駅跡を望む。

都心部にある廃線は、大体早い段階で再開発や撤去されて跡形もなくなってしまいその痕跡を辿ることは非常に困難な事がありますが、このお濠電車の廃線跡は廃線後40年が系化する現在でもその姿をとどめています。また大半が名古屋城の堀の中を走っていたので何処を走っていたのか行ってみればすぐにわかる点が便利です。

名古屋を訪問した折には、都会の喧騒の中で静かに眠る廃線跡を辿ってみてはいかがでしょうか…?


さて廃線探索第1部は終了ですが続いて第2部に移ります。まだ1日目のレポートが終わってないですね。先が長そうだ…
正月を跨いでしまいそうですが、どうか最後までお付き合いくださいませm(__)m

次回に続きます。

名古屋遠征2(02)1-2・お濠電車の痕跡を辿る~1

こんばんは

10日ばっかり放置プレイしましたが落ち着いてきたので再開するとしましょう。お待ちかねの遠征レポートです。

前回はコチラ

ドニチエコきっぷを片手に名城線に乗車し辿りついた先は…
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市役所駅です。
大体こういう駅名は「前」が付きますが名古屋市営地下鉄は付かないものが多いです。

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栄が経済の中心であるのに対して、この辺りは名古屋城や愛知県庁・名古屋市役所など行政の中枢が集まる古くからの行政の中心地です。この日は休日であったためか閑散としていました。

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名古屋市役所本庁舎は1933年竣工の重厚な建物です。

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少し東に歩き、名和高校の前の交差点を左折して北上するとほどなくして、名鉄瀬戸線が地上に出てくるところにぶつかります。これが今回の主役です。

1978年に栄まで乗り入れる前、名古屋城の堀の中を走っていた名鉄瀬戸線(通称:お濠電車)の廃線跡を辿ろうと言うことです。
現在は地下に潜って栄に直結していますが、1976年までは名古屋城の堀の中を走り、舟運との接続点であった堀川(現在の景雲橋付近)まで路線が走っていました。

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現在では最新鋭の4000系が行きかう瀬戸線ですが、今回探索するお濠電車があった頃は本線系統から追い出された雑多な形式が混用される博物館のような路線だったといいます。

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地下を出てカーブしながら高架に駆け上がり、直線になった辺りが旧線との分岐点です。
尾張瀬戸方向を望む。少し先は清水駅です。

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旧線と新線の分岐付近。右中央付近の道路が廃線跡。

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この付近は、1976年のお濠区間廃線から1978年の新線開業まで土居下駅(仮)があった場所です。此処が仮のターミナルとされ中心街方面へ向かう代行バスが発着して利用者の便を図っていました。

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土居下駅(仮)付近から新線を望む。

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さて、土居下駅(仮)を過ぎます。
道路などに転用されて線路があった痕跡はしばらくはありません。

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ですが、暫く西に歩くと道路のど真ん中に謎の緑地帯が。
これが廃線跡です。

イメージ 12イメージ 13
鉄道らしい緩いカーブを描いています。
※1枚目の影の辺りで2枚目を撮っている。

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緑地帯をしばらく進むと道路にぶつかります。

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此処はに踏切があったようです。

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この辺りは柳原商店街という商店街がありました。
看板がありましたが瀬戸線については触れられていませんでした。

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現在の様子。


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道路を渡った先から尾張瀬戸方向を望む。中央の緑地帯が廃線跡。
このカーブで東西方向から南北方向へと舵を切ります。

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上の写真と同じ地点から堀川方を望む。

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さて、いよいよお濠区間に突入します…が、踏切からお濠への廃線跡は住宅が経ち寸断されています。

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同じ場所で左を向くと、ちょうど新線が地下に潜る個所です。
上から4枚目の写真の辺りですね。

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さて、いよいよ廃線跡はお濠区間へ。
入ってすぐのところに土居下駅があったようです。仮のターミナルになる前、お濠区間営業時の1976年までは此処にありましたがお濠区間廃止に伴い先程の場所に移転していました。

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土居下駅跡と、廃線跡の上に立つ住宅(尾張瀬戸方を望みながら)。

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さて、堀はどんどん深くなって行きお濠と言う感じになって行きます。
お濠と言うと皇居の水の張ったのを思い出しますがお濠電車営業時も現在も水の無い空堀の様です。

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土居下駅跡からほどなくして、現在の東大手駅に到着。
前述の県庁や市役所の「名鉄線における」最寄駅ですが、歩道の片隅にひっそりと建っている雰囲気でした。

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駅前には「東大手駅」の由来の碑が建っています。

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東大手駅裏手(駐車場から)の廃線跡。
かつてお濠電車にも「東大手」駅がありましたが戦時中に廃駅となっていたので、栄乗り入れ時に東大手駅は約30年ぶりに「復活」したと言う歴史があります。

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戦時中に廃止となり既に70年余り、勿論痕跡は残っていませんでした。

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東大手駅の南方すぐにある「清水橋」。
最初に市役所駅から来た時に渡って来た橋です。写真奥が市役所方面。

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橋の上から廃線跡を見ゆ(奥が尾張瀬戸方向)。
うっすらと何か盛り土みたいなものが残っているようにも見えますが果たして。

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橋の東側より。名古屋城の石垣(門とか櫓などがあったのか)と廃線跡。
橋の下は複線分が通れるほどの幅があります。

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さて、廃線跡はこの後も南下を続けます。

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この先でS字カーブを描いているようで先は見えませんでした。

この先はしばらく並行して建物があるため廃線跡は見られません。


次回に続きます。

オマケ
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廃線跡の近くには、名古屋市市政資料館(旧:名古屋控訴院地方裁判所区裁判所庁舎)があります。1922年に建てられたネオバロック様式を基調とした洋風建築で重要文化財に指定されています。空襲の被害も受けずにほぼ大正時代の姿をとどめています。
残念ながら今回はゆっくり見学できませんでしたがそのうち行ってみたいところです。

イメージ 35
ぬこ


続く。
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