こんばんは

疫病蔓延よりもやる気のなさが自分の中だけで蔓延しており撮影に出ない日々が続いていますのでちょっと昔の写真を掘り起こして記事化していきたいと思いま…したが模型ネタがちょくちょく入るので中々スタートしませんでしたが今回より小出しにしていきます。


時は2010年。
長らく活躍を続けた寝台特急「北陸」及び急行「能登」の運行が終了するとの事で、当時血気盛んだった自分は撮りに行くことを考えました。しかし当時は安いコンデジのみで沿線撮りの概念もなかったので上野駅到着を狙うことに。
しかし両列車の上野到着は早朝6時代前半と、横浜の奥地からでは到底間に合いません。当時は貧乏学生だったのでホテルに宿泊するなど論外でした。半ば諦めかけていたところに総武緩行線沿線にある祖父宅より宿泊OKが貰えたので、この計画をスタートすることとなりました。

e231-0御茶ノ水


※画像は後年撮りなおしたもの。
まだ早朝4時台、総武緩行線に御茶ノ水行が走っている時間帯よりスタート。祖父・祖母も早起きして見送ってくれました。感謝多謝。
あれから10年、早朝の御茶ノ水行は無くなり、保安上の理由などから泊めてくれた祖父と祖母はサービス付き高齢者住宅に入ったため家は取り壊され、山歩きが趣味だった祖父は天上の山へと旅に出かけるなど、10年という時を経て人や物は大きく変わりゆく様子を見てきました。
私自身もホテルでのんびりするくらいの余裕ある旅をするようになりましたがどうも人とのつながりが薄れてしまっているようで何となく寂しいものです。

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季節は2月半ば、
まだ太陽も昇らずキンキンに冷え切った街を黄色い電車で駆け抜けて上野駅へ。
やはり廃止間際であるだけあって人もそこそこいましたがそれほど黒山の人だかりと言う訳でもなく割と余裕で撮れた記憶があります。6時少し過ぎに3つのヘッドライトが上野駅地下ホームへとゆっくりと進入。

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ヘッドライトを輝かせて、最後のボンネット優等列車「能登」の到着です。
寝台車併結の旧形客車やブルートレイン用客車の時代もあったといいますが、末期はリクライニングシート完備の485系特急電車とグレードは非常に高めでした。
高速バスは安いですが何となく窮屈で自分はあまり好みではないので、やはりこういった列車も残っててほしかったですがやはり金と利便性が物を言う時代なので快適さよりも安く利便性の高いほうに流れていくのは当然の流れなのかもしれません。

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ヘッドマークは能登半島と日本海を図案化した物となっています。
近年の特急列車はLED式表示が一般的になったのでこのような秀逸なイラスト入りヘッドマークも減りつつあります。

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上野駅地下ホームに停車した「能登」
40年前はこのような光景が日常的に見られたのですね。一度1980年代にタイムスリップして現在の機材抱えてバシバシ撮りまくりたいものです。

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特徴的なボンネット構造。
特急列車は静かで快適であるものとして、騒音のもとであるCPやMGを極力客室から離すべくボンネット内に収納するという、まだ特急が文字通り「特別」であった時代の名残でもあります。
それから半世紀以上が経って、JRの4ドア通勤電車が特急に使われることになろうとはだれが想像したでしょうか。

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2月の上越国境を雪を蹴散らしながら越えてきた証として車両の至る所に雪が付着していました。

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車両は489系。特急用電車485系のグループですが、碓氷峠をEF63と強調運転で越える機能を装備する特殊形式で「白山」「あさま」などに使用されました。しかし碓氷峠区間はご存じ1997年に廃止となり、489系は本来の用途を喪失。しかしその後も碓氷峠に関わらない列車で活躍を続け、最終的には2015年まで在籍しています。
先頭形状はボンネット型・183系同様の貫通構造・非貫通構造と3種類が存在しましたが最後まで残ったのは最初に登場したボンネット型で、現在でも京都と小松に1両ずつが保存されています。

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尾久への回送準備を整えた「能登」。
近年、京都鉄道博物館の保存車に「白山」時代の白地にピンクと青のラッピングが施され話題となっていましたが実物の再末期は国鉄特急色に復元されていました。

もうちょい廃止が遅ければ夏の高崎線内で撮ったり、北陸遠征で利用したかもしれないですね…
臨時化でJR東日本新潟車受け持ちに変更後も遂に乗ることはありませんでした。


続いてはもう一つの「夜を駆ける列車」

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「能登」に遅れる事約15分、今度は濃紺のボディの列車がゆっくりと上野駅地下ホームに進入。
寝台特急「北陸」です。はるか遠くにヘッドライトの灯りが見えました。

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上越国境の山男EF64-1000を先頭に、上野駅にゆっくりと到着。
ボディに付着した雪が国境の雪深さを物語ります。

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上野~金沢間約500㎞と寝台特急では最短距離となる列車ですが、開放式B寝台のほかにビジネス客や女性客の利用を促進するべくA個室寝台「シングルデラックス」やB個室寝台「ソロ」の割合も比較的高かったのが特徴で、全車座席車の「能登」とは差別化が図られていました。
行きは「能登」で帰りは「北陸」で北陸遠征などという旅も面白かったかもしれませんね。

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行先表示

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遅まきながら最後尾に回ってみましたが、推進回送準備のため貫通扉が開けられ仮設のライトが取り付けられていました。

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ズームして「北陸」のテールマーク。
モデルは「親不知の断崖」だそうです。

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使用車両は14系14型でした。
「はやぶさ」で乗ったことがあるだけに馴染みのある車両でしたね。

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ブレブレですがナンバー。
この「スハネフ14-20」は現在富士急下吉田の「ブルートレインテラス」にて保存されています。「富士」に使用されていたのと同型の車両という事でこの車両がチョイスされたそうですが実際はこの通り「北陸」でした。

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ブルートレインの雰囲気を残すべく意味不明なカットをバシバシ撮ったものですが、今こうして当時の写真を見ながらこんな時代もあったなぁと感慨にふけることが出来ているので無駄にはなりませんでした。一枚一枚を大切に。


最後にオマケというか…当時はオマケだったんですね…

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「北陸」から遅れること約40分、遠く青森からはるばるやってきた「あけぼの」の到着です。
当時は存在そのものを忘れてて駅構内をフラフラしていたらもういたという感じでした。

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牽引は双頭連結器装備のEF64-1032でした。
コレに引っ張られ長野へ旅立つ京浜東北線209系の記事をこの頃嫌というほど読んでいましたが実物にであるのは初めてでした。中々複雑な構造をしています。

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行先方向幕。
「奥羽線経由」と併記されていますが奥羽線は秋田~青森間のみであとは上越・羽越線なのでひょっとしたら福島経由時代とひょっとしたら幕は変わっていないのかもしれないなどと思ったりしますが真相や如何に。

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新幹線や航空機・安価な高速バスやビジネスホテルの台頭により80-90年代よりブルートレインは衰退の道をたどることとなりますが、JR化に前後して様々な利用促進策が行われることとなります。
「あけぼの」においても、B寝台から枕・掛布団・シーツ・浴衣のサービスを省いた、単に横になって寝るためだけの「ゴロンとシート」という普通車指定席扱いの座席が連結されていました。「サンライズエクスプレス」の「ノビノビ座席」と似たような感覚ですね。果たして若き日の自分はここで寝れたのかどうか。

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「あけぼの」のHM。
昔列車図鑑を読んでいた時期と横綱「曙」が活躍していた時期が見事に一致しているので曙というと相撲を連想したりしなかったり。

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列車の青森寄には電源車カニ24が連結されています。
貫通構造の100番台ですが日により非貫通の0.500番台も混用された模様です。

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編成の片隅で「ドドドドドドドド…」と発電用エンジンの轟音を響かせている姿が前時代的でよかったですね。

「北陸」や「北斗星」とは異なり、並行する新幹線も無く日本海側の都市をダイレクトに結ぶという利点から町名を保ち、当分は安泰かと思った「あけぼの」でしたが最終的には車両老朽化でとどめを刺される形で引退し、ブルートレイン自体も時代の波に呑まれ2015年を最後にすべて姿を消しました。時代の波とはいえ、のんびり考え事をしながらのんびり目的地まで向かう旅も難しくなっていますね。鈍行列車もやたらと乗り換えが多かったり普通の通勤電車と変わらない構造だったりでブルートレインほどのんびり過ごせないのが現状です。
今後は昔のブルートレイン乗車記録を眺めながら、体感したことのない昭和時代を自由に想像しながら過ごしていきたいところであります。


夜行列車が実質「サンライズエクスプレス」しかない現在から考えると、多種多様な夜行列車が走っていた趣味的にはとても豪華な時代でした。今は何とも思っていないものも後々豪華な時代だったと感じる時がきっと来ます。


ひとつひとつの記録を、記憶を大切に。


オマケのオマケ

A-25

「あけぼの」撮影後は「北斗星」を撮らずに割とすぐに上野を出てしまうという今から考えるとすごくもったいない事をしています。一か所に留まってるのが当時は苦手だったんですねきっと。
乗車電も今や懐かしの211系。グリーン車の組成など中々沼要素が深そうです。211系の話題はそのうち懐古記録で書きますのでお楽しみに。


最後までご覧いただきありがとうございました。