こんばんは

疫病蔓延よりもやる気のなさが自分の中だけで蔓延しており撮影に出ない日々が続いていますのでちょっと昔の写真を掘り起こして記事化していきたいと思いま…したが模型ネタがちょくちょく入るので中々スタートしませんでしたが小出しにしていきます。

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すっかり銀座線に馴染んだ東京メトロ1000系。レトロ調のデザインと最新技術をうまく融合した傑作とも言えます。今回はこの車両のベースとなった日本初の地下鉄車両、東京地下鉄道1000形の記録をお送りしたいと思います。

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東京都は江戸川区、東西線葛西駅の高架下に位置する「地下鉄博物館」にその車両、1000形1001号は眠っています。
1927年、日本のみならず東洋初の地下鉄として上野-浅草間(現:銀座線)を開業させた東京地下鉄道が投入した車両で、木造車や半鋼製車が主流の当時において防火の観点から全鋼製車体を採用したり新型の衝突防止装置を採用するなど、当時最高水準の保安技術を誇りました。
銀座線全通や帝都高速度交通営団への移行を経て、1968年に引退後も1001号は保存され、当初は交通博物館で、1986年には現在の地下鉄博物館へ移動し、当時の様子を伝えています。

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現在のすべての地下鉄車両の原点ともいえる1000形。
当時溶接技術が未発達だったためリベットが多用され、外観上の特徴となります。重量は34.8トンと、15m級車体の車両としてはかなり重い部類に入ります。後年の丸ノ内線用500形が車体長18mで同じくらいの重量なので、頑丈で燃えにくいけど滅茶苦茶重いという初期の鋼製車の特徴が見て取れます。

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東京地下鉄道の社紋とナンバー。
CとTを図案化した物です。

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側面には開業時のサボが差されています。
右書きの文字と「浅」の旧字体が時代を感じさせます。

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台車は旧式の釣り合い梁式台車で、後年台車交換が行われた際に全国の標準軌私鉄に払い下げられますが、現在履いているのは譲渡を受けた山陽電鉄より後年寄贈されたものとの事。

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車内。2017年の重要文化財指定に伴い車内は原則非公開となりました。時折イベント時などに公開されるようです。車内には当時の乗客を模したマネキンが置かれています。

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壁面は木目調ですが、板張りの壁面に慣れた乗客に違和感を感じさせないため敢えて鋼板に焼き付け印刷を施したものとされています。床も当時としては珍しいリノリウム張りとするなど可燃物の排除を徹底しています。
運転台は半室構造で、助手席側は最前部まで座席が伸びています

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車掌スペースは無く、ドア扱いは車内にあるドアスイッチを用いて行います。
まず「此ノ戸」と書かれたスイッチで至近のドアを開け、「他ノ戸」のスイッチで他のドアを開け、閉める際は「他ノ戸」→「此ノ戸」の順番で閉めます。詳しい使い方はコチラ。今でも見られるところが凄いですね。

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地下区間では必須となる室内照明ですが、間接照明を採用し光が直接目に当たらないよう配慮されています。現代は蛍光灯やらLEDやらでどんどん明るくしていますが昔は薄暗いホームに移った時にクラクラしてしまうというのでそういう時代の名残としても貴重です。

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非常灯。

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製造プレートとナンバー。
サボ同様右書き・旧字体を用いています。

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つり革は他ではあまり見られない「リコ式」というものが用いられています。
本体はポールに接続されて使用しない時はばねの力で車外側に跳ね上がり、使用する時は手前側に引っ張って捕まるという構造です。前後動が無いので加減速時のショックに強い反面、重い鉄製の物なので手を離した際に席から立ち上がった乗客の顔に運悪く当たり怪我をするという笑えない事態があったとの事であまり普及せずに終わりました。

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つり革の接続部には刻印があります。

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つり革を接続するポールを屋根から支える部品はもはや芸術ものと言うべき美しさです。

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車内の注意書き。
たばこを「のむ」や「かほ」といった表現に時代を感じます。今ではピクトグラムであっさりとデザインされています。

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壁面には当時の様子を表した絵が。東洋唯一の地下鉄として大々的に宣伝されたようです。
ちなみに一番切符を手にした最初の乗客は、後に世界各地を飛び回って鉄道趣味を極め、横浜に自らの鉄道模型博物館をオープンする当時9歳の原 信太郎氏との事です。

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1001号と共に保存されているのが開業時の保安装置「打子式ATS」です。
信号と連動し赤になると線路脇のアーム(打子)が立ち上がり、列車が通過するとアームが列車側のトリップコックに当たってブレーキ管が解放されて非常ブレーキが作動し列車を止めるという、コンピュータの無い時代ならではの原始的な方式ですが確実な作動となる方式です。東京では銀座線の他に丸の内線で平成初期まで採用され、2004年の名古屋市営東山線を最後に日本の営業路線から姿を消しました。奇しくも同じ黄色い電車ですね。

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そして日本の地下鉄開業から90年の節目の年となった2017年、銀座線1000系で最後に増備された2本はより初代1000形にデザインを近づけたレトロ仕様としてデビューし注目を集めました。

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東京地下鉄道から帝都高速度交通営団を経て現在は東京メトロと変遷しましたが、開業時の東京地下鉄道の社紋も復活しています。

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車内も木目調の化粧板・緑色のモケット・臙脂色の床など徹底的に初代1000形を再現しています。

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つり革は流石にリコ式では無い物の、当時のしずく型の持ち手が再現されています。

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壁面には当時の非常灯も再現され、イベント時にはコンピュータとの連動でポイント通過時に電灯が消え非常灯が点灯するギミックもあるそうな。これは一度イベント時に乗ってみたくなりますね。

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製造プレートも初代1000形をイメージした右書きのものとなっています。平成製ですがとても平成製の車両とは思えぬプレートです。90年を経てもメーカーは同じ日本車両製造です。

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開業当時の1000形が当時最新の車両であったように、現代の1000系も3画面式LCDなど現代の最新仕様を目指した車両であります。

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オマケ1:戦後の銀座線を代表する2000形。1950-80年代は実に様々な形式が入り混じって運用されていたようですので興味は尽きませんね。


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オマケ2:地下鉄博物館に1001号と共に保存される100形129号。
銀座線のうち新橋~渋谷間を開業させた東京高速鉄道が1937年に投入した形式で、全体的には1000形をベースとするも丸みを帯びた前面とグリーンとクリームのツートンカラーが1000形とは異なる印象を与えます。此方も1968年に引退したのちは丸ノ内線中野検車区で入換に従事し、地下鉄博物館への展示に当たってはカットモデル化されています。
2017年に2本導入された1000系特別仕様車のうち1本はこの色になるのではと思いましたがなりませんでした。まぁラッピングフィルムを特別に作るのも大変であるゆえでしょう。

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東京高速鉄道の社紋。
開業当時は新橋で地下鉄道・高速鉄道が分離しており乗り換えが必須でしたがすぐに直通運転が開始され、用意された東京高速鉄道側の新橋駅はほとんど使われることのないまま現在でも幻のホームとして時折公開され人気を博しています。

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天井に設置された白熱灯・リコ式ではなく通常のつり革など東京地下鉄道の車両とは異なる部分も復元されています。

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ドア開閉機構は切開され、ガラス越しに見ることができます。子供向けの設備ですね。

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129号の前には銀座線で使われていた台車が置かれ、129号のマスコン操作で実際に動きます。
しかしこの台車、ツリカケ駆動なので無垢な子供たちが私のようなあらぬ方向に向かってしまわないかとひそかに心配しています(笑)

2027年には100周年を迎える銀座線。近年車両の更新や駅のリニューアルが行われていますが、それでも随所に開業当初の姿を色濃く残す、過去と未来を繋ぐ路線であり続けます。
そのうち地下鉄博物館と共に再訪したいところですね。皆様も落ち着いたら是非。

地下鉄博物館ホームページ→http://www.chikahaku.jp/

最後までご覧いただきありがとうございました。