横浜西部急行の備忘録2(きまぐれ鉄道日記帳N)

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2019年04月

東急9020系を撮る!

こんばんは
いよいよGW10連休です。管理人は何処にも行かず平穏なGWを過ごす予定でしたが事もあろうに地元電がとんでもない事をやらかしてしまったので(褒め言葉)参戦しないわけにはいきません。嬉しいやら悲しいやら…

さて、平成最後の記事となります…が、令和に変わろうと内容も記事の調子も管理人のやる気もたぶん変わらないので今後もどうかお付き合いくださいましm(__)m

この日は東急線一日乗車券を買い求めふらりとお出かけ。
前回の続きとなります→東急9020系に乗る!

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大井町から乗って来た9020系の折り返しを待ちます。
メトロ8000系のとツーショット(と言えるのか)。

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溝の口駅の引き上げ線を出る9023F。
もう殆ど9000系と区別が付きませんねぇ…

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9000系と6020系の並び。
平成末期~令和次代の大井町線の主力です。

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9022F
元2002F3両と、元2003Fのモハユニットを組成した編成。

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5101F
とそこに5000のトップナンバーが降臨。コレも間もなく登場から20年ですが2020系投入により動きがあるのかどうか…

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9007F
唯一となった大井町線生え抜き編成もスカート設置・フルカラーLED表示化と他と変わらぬ姿に。

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9000系と9020系の並び。
やはり顔だけでは全く区別が付きませんね。

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8104F
数少なくなった営団の雰囲気を色濃く残す7000・8000系にも遂に余命宣告が下りましたので記録はお早めに。

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2020系と9000系の並び。
車両デザインの段で「切妻前面以外は考えるな」と言われていた投球も30年を経てこんなにオシャレな電車を作るようになりました…という一枚。

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9021F
先頭車は元2001F・大井町寄りパンタ車は元2002F・それ以外が元2003Fと2000系全3本から抽出された車両を組み込む編成です。

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東急6000系とメトロ8000系の並び。
同じ「く」の字前面デザインですがやはり30年の時を経ると随分と変わるものです。次の30年後はどんな顔が流行るのでしょうか。

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9015F
9000系ラストナンバー。9020系の就役と8500系の大井町線撤退により大井町線の普通列車はすべてこの顔となりました。

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51057F
クレしんラッピングで沿線を賑わせていたのも今は昔、普通の東武カボチャになってしまいました。また何かやりませんかね…

と言うか2020系と18000系投入が完了すると半直最古参が50050と08辺りになると言うのが何気に恐ろしいですね…歳を取ったのだ。

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9023F
一周して戻って来た9023Fを捕捉。大井町寄りパンタ車は元2002Fで、それ以外は元2003Fと言う組成です。2003Fは当初東横線に配属され、後年田園都市→大井町と転属の歴史があります。

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6122F
溝の口での〆は6020系。デビュー当初よりべたべたヘッドマークや両数表示が貼られていましたが最近剥がされたようで、営業運転開始後初めてスッキリした顔を拝めました。
こうコロコロ変わる仕様は模型メーカー(特につくる楽しみ一杯のとことか)泣かせですね…

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6020系の1本前の各停で溝の口を発ち、旗の台で6020を迎え撃ち。
やはり中間の「Q-SEAT」車が目立ちます。今度は6000系にも連結されるそうですね。


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9012F
荏原町で撮影開始。最近曇っててもどうでもよくなりました。

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6105F
7連化後は案外撮っていない編成が多いので記録しておく必要があります。

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9021F

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9023F
今まで荏原町では溝の口寄りでしか撮っていませんでしたが大井町寄りも中々いい感じで撮れます。

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9010F
赤帯で東横線を闊歩していたのも早6年前…

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9022F
欲張った挙句溝の口寄りで撮り逃した編成です。欲張りは禁物。

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9007F
御存知生え抜き編成。引退時には復刻赤帯とかやったりしますかね…?その頃には8500も引退し誤乗の恐れもたぶん無い事でしょうし…

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9021F
東武直通開始で運用に制限が加わり、長らくあまり活躍出来ない時代が続いた2000系→9020系。両数も半分となり、形式も外観も変わってしまいましたが大井町線が安住の地となるのでしょうか。

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6102F
先日、6000系組込用の「Q-SEAT」車が総合車両製作所を出場したという事ですが、ナンバーが6301・6302となっていたとの事なので、ノーマルスタイルのこの編成も間もなく見られなくなりそうです。

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9003F
荏原町駅からは旗の台駅がよく見えます。凄く近いですね。

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被った!とヤケクソで撮ったら何と9000系トップナンバーとラストナンバーの並びになったという奇跡の一枚。

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旗の台駅の勾配を駆け下りてくる6020系。

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同じく、9023F

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〆は大井町寄りで6020系を撮って終了。カッコいいですね~

新時代に向けて、乗入れ車両も含めて今後も大きく変わる東急、継続的な記録が必要ですね。
他にも記録が必要な路線もありますが中々出向けないのが何とも。改元を機に頑張れるといいのですがねぇ…


平成最後の記事、最後までご覧いただき、ありがとうございました。
また令和次代にお会いしませうm(__)m

東急9020系に乗る!

こんばんは
いよいよGW10連休です。管理人は何処にも行かず平穏なGWを過ごす予定でしたが事もあろうに地元電がとんでもない事をやらかしてしまったので(褒め言葉)参戦しないわけにはいきません。嬉しいやら悲しいやら…

さて、平成最後のシリーズは撮影篇で締めくくりとなります。

この日は東急線一日乗車券を買い求めふらりとお出かけ。
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元住吉で追突され1本が廃車となってしまった横浜高速Y500系、追突した側が東急車だったためか横浜高速への補償として東急から5050系1本(5156F)が譲渡されY517Fとなりました。よって、昔ウソ電で作った「フルカラーLED表示のY500」がまさか実現してしまう事に…
横浜DeNAベイスターズのラッピング車となっていました。

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内装も横浜高速仕様に改装されています。本家5050系では見られなくなった非ワイドLCD表示が残ります。ドアチャイムも横浜高速仕様ですが音質が若干異なります。

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車内のプレートもY517に貼り変えられていますが、他のY500よりも製造年が新しいところが判別点です。

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前述の通り元東急5050系なので側面・前面共にフルカラーLED表示となっています。

来シーズンに多摩川辺りで撮ってみたいところです。


さて今回の本題へ。
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他者と機器が異なり、東武へも直通出来ないためか田園都市線への2020系投入で真っ先に追い出された2000系。去就が注目されていましたが、機器更新・内装リニューアル・編成組成変更を行い、形式も9020系と改番されて8500系置換えのため大井町線へ転用されました。
ますます9000系と区別がつかなくなってしまいましたねぇ…

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車内のプレート。
2000系10連3本30両から単純に中間車を抜きとって5両化したわけではなく、
2001F…先頭車のみ2両
2002F…先頭車2両・パンタ車3両の計5両
2003F…先頭車2両・中間電動車6両の計8両
を抽出し、機器更新と組成変更を行い5連3本15両に纏めるという複雑な組み替えを行っています。なお残った半分の中間車15両は廃車解体されたようです。
なので編成内には写真のように製造年の異なる車両が組み込まれています。

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行先表示は2000系時代より引き続きフルカラーLEDとなっています。

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先頭車外観。
外観は殆ど変わりません。というかクーラーの位置を気にしなければ9000系と区別が付きません。2000系特有の連続クーラーカバーも換装により消滅してしまいました。

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溝の口・中央林間寄りパンタ車はダブルパンタとなっています。

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足周り。台車は変わっていませんが制御系は一新され、2020系と同様のSiC-VVVF装置となっており、2000系時代のMMユニットを崩して5連化されています。
音は2020系に類似したものですが、9023Fの大井町寄りパンタ車のみ音が異なります。主要機器は総取替されたようですがブレーキ緩解音は2000系時代の「ヒュィーン!」という独特の音です。

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車内。
モケットが張り変えられオレンジ系からグリーン系になっていますが、袖仕切りは大型化されずにそのままだったりなどどうも中途半端です。

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座席。
背もたれには柄が入っています。

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車端部。
特徴的な貫通扉はそのまま残っています。2000系時代を一番強く物語るものかもしれませんね。なお車内防犯カメラがが貫通路上に設置されています。

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リニューアル改造されましたが車内旅客案内装置は2000系時代のLEDのままであり、やはり中途半端感が拭えません。

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運転台もあまり変化はないようです。

中々面白い組み替えられ方をされた2000→9020系、次回では撮ってみようと思います。

次回に続く…なお次回がたぶん平成最後の記事です。

春の相鉄小ネタ集2019

こんばんは
世間は明日からGW、しかも10連休というスペシャルな日々ですが管理人はそもそも10連休でない(改元初日より一日仕事が入ってる辺り令和になっても何も変わらなさそう)のに加え、どうせ混んでいるからと地元に引き籠って模型作りとブログ執筆に勤しもうと思う次第です。

さて、4月初頭のネタです。
この日は夕方になって相鉄本線で線路内立入が発生。抑止が長引いたためか自分が利用する頃にはダイヤが大きく乱れていました。
とりあえずネタを拾いに横浜始発の急行で二俣川へ向かったら…
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※コンテジでの撮影なので粗いです。
何と、二俣川の引き上げ線にモヤが停車中でした。検測の途中で全線がストップしてしまい車両基地に帰れなくなってしまったようでした。

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しかもこの日は珍しく←横浜703-704+701-702の組成でした。
普段は701の検測装置を使用するため701先頭の編成で702.703は中間に組み込まれていますが珍しく先頭に立っていました。

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一番原型に近い703が最後尾にいるのも珍しいですね。
いつか先頭で走っている所を撮ってみたいものです。

列車の遅れでピリピリしている中に、黄色い珍客が現れ一般利用者もさかんにスマホを向けていました。

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さて、運用差し替えで8連優等を期待しましたが更に差し替わったため不成。
今後の去就が気になる7713Fと、先日ネイビー化された9706Fが並びました。

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先日ネイビー化された9706F。ようやっと撮れました。
9707Fもネイビー化入場し、9701Fもドア交換等各種改造を施されているので9000系のオリジナルスタイルは消滅しました。

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11000系の「6代めそうにゃんトレイン」と3本合わせて一枚。
今年の「そうにゃんトレイン」はベビーそうにゃんのイラストが描かれたとてもかわいらしいものとなっています。一度とっくりと観察したいところですね。

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新7000系の第一編成と900-系の第一編成同士の並び。
ゆくゆくはこのグループカラー同士の並びも貴重になってゆくのかもしれませんね。

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さて、次のいずみ野線列車はいずみ野止まりに変更と言う事で下りホームへ。
入線したのは10701Fでした。またしてもトップナンバー同士の並びです。

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その時、一瞬だけ10000系の行先表示が「各停いずみ野」表示に!
すぐに「快速湘南台」に戻されてしまいましたが貴重なシーンを拝めました。

いずみ野駅で先行する列車に接続するのでいずみ野折り返しとしたようでしたが、行先表示はこの時を除いてずっと「快速湘南台」表示でした。

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いずみ野で折り返してきた10701F(右)と10708F(左)の弥生台での並び。トップナンバーとラストナンバー同士の並びですね。

我々ファンにとってはこういうダイヤ乱れ時の珍表示は美味しいものですが、現場の方々は並々ならぬ苦労をされているのでう~ん…という感想です。撮らせて貰える事に感謝しませう。

最後までご覧いただきありありがとうございました。

神奈川駅探訪のはなし

こんばんは

平成の終わりまで残り10日程となりました。従来改元とは天皇の崩御によって行われていたため文字通りお葬式ムードでしたが、今回は平成最後の○○が流行ったり新元号「令和」にあやかった物が出てきたりと巷はお祭り騒ぎです。これこそが、今上天皇が30年間模索されてきた「改元」の姿なのかもしれませんね。

改元してもせいぜい移転する事くらいしか大きくやる事が無い当館ですが今後とも御贔屓を宜しくお願いしますm(__)m

今回は探訪ものです。

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「東京駅・千葉駅・さいたま(新都心)駅はあるけど、神奈川駅はどこ?」という疑問があるかと思います。確かに神奈川県の中心駅と言えば横浜駅で、神奈川駅と言うのは聞いた事が無いかもしれません。
実は横浜駅から京浜急行で都心へ向かって1駅進んだ所にあります。

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かつて「神奈川」という駅は国鉄・東急にもあり、1872年の新橋~横浜間の鉄道開業時に東海道五十三次の宿場町として栄えていた神奈川宿付近(現:横浜駅のやや北方)に設置されたのが始まりです。しかし横浜駅(現在の桜木町駅)が開港地として開発・繁栄したため主要駅の地位を奪われ、1928年に横浜駅が現在地に移転した際に廃止となり、現在は京急の神奈川駅のみが残ります。
京急の神奈川駅は1905年に当時の京浜電気鉄道が延伸した際に、現在のやや南方に開業した物で、当時の横浜方のターミナル駅でした。隣接した国鉄神奈川駅が廃止となった後に現在地に青木橋駅として開業し、後に神奈川駅と改称し現在に至ります。
影が薄くなってしまった駅ですが、実は由緒ある駅名なのです。

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ホームは相対式2面2線のみ。横浜駅から数百メートルで徒歩10分程度でついてしまうため優等列車は一切停車せず普通列車のみの停車で、利用者も非常に少ない駅です。
京急をはじめ、並走するJRの列車がひっきりなしに通過し付近には国道1号もあり大変賑やかですがこの駅だけが取り残されたように静かです。

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崖に張り付くような駅のため敷地は非常に狭く、駅舎は南北に細長く改札機も3台のみ設置と非常に小規模な駅です。更にエレベータ。エスカレータを設置する場所も無いため、車椅子利用時には階段を一時閉鎖したうえで車椅子用昇降機を用いるのが特徴です。
「京急線のりば」のピクトグラムが、今はなき2000形なのが懐かしいですね。


参考↓

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さて、京急神奈川駅から出て青木橋を渡り、1つ道を入って行くと京急・国鉄に続く「3つ目の神奈川駅」へと繋がります。

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緑道に入ったところが「3つ目の神奈川駅」、東急東横線神奈川駅のあった場所です。
御存知みなとみらい線開業に伴い東白楽~横浜間が地下化され駅の遺構も消滅したわけですが、線路跡地はこのように緑道として整備されています。
東急東横線(当時の東京横浜電鉄)も1926年に当地まで建設された際に国鉄駅に隣接したターミナル駅として開業しましたが、東急の最終目的地は横浜(現在の桜木町)だったためターミナル駅として機能した期間はごくわずかであり、1928年の国鉄神奈川駅廃止に伴いやや北方の当地に移転。1945年の空襲により被害を受け休止、横浜駅と反町駅からそれぞれ500m程度と距離も余りないため1950年に正式廃止となりました。

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緑道の案内板の写真より。
駅はトンネルを出てすぐの場所にあったようです。

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「カラマツトレイン横浜店」が入るビルから神奈川駅跡が俯瞰できます。
緑道化により高架橋などの遺構は撤去され、案内板の説明のみが駅があった事を物語ります。

ちなみに、手前の道路は旧東海道です。


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東白楽~横浜駅手前の東急東横線線路跡は「東横フラワー緑道」として整備されており、往時をしのぶ事が出来ます。またの機会に巡ってみませう。

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上地図の神奈川駅部分を拡大。
京急神奈川駅と東急神奈川駅は比較的近接しており、数分で着けます.
ちなみに、国鉄・京急・東急の神奈川駅があった個所は地図左下、JR線に並行して走る環状1号が大きくカーブを描くか所(「現在地」の文字の辺り)とされています。

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緑道の横浜方の終点。
ビルが何かを避けるようにゆる~くカーブを描きながら立っているのが、此処に線路があった名残ですね。

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緑道のところどころには線路が敷かれ、此処に鉄道がとおっていた事を道行く人々に伝えています。

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緑道の横浜方の終点(2つ上の写真)より振りむいて横浜駅方向を望みます。丁度環状1号がカーブを描いている所ですね。白い工事フェンスの中が(旧)神奈川駅があった場所とされます。旧)神奈川駅跡地も開発の波にのまれ、此処に駅があった事をしのばせるものは何もありません。

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緑道の看板。

県名がついた駅が無い例は結構ありますが(群馬とか茨城とか特に)、これだけ小さい駅になって細々と残っている例は殆ど無いですね。そんな小さな駅も、長い鉄道の歴史と過去の栄光を後世に伝えるべく静かに立ち続けていました。

東横フラワー緑道はそのうち全区間踏破しますのでお楽しみに…

最後までご覧いただきありがとうございました。

相鉄9000系9701Fをつくってみた

こんばんは
あと改元まで10日…なんてのが信じられませんね。まぁ改元したからと言って世の中がガラッと変わるわけではないので余り強く身構える必要はなさそうですが…

さて改元してもたぶん通常運転の記事をお送りするであろう当館です。移転先どうしようかな…

さて本日も模型記事です。
最近執筆順と投稿順が全く一致していません(西武→相鉄12000系イベント×3→今回)。

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遡る事約2カ月半前、フラッと寄った東戸塚のポポンで(模型フェスタと同じ日である)相鉄9000系新塗装を10両拾いましたが、何と数日前に友人氏が売却した物である事が判明。
お値段もお手頃でした。
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西武赤電増殖物語2

こんばんは

4月も早いものであっという間に過ぎて行きます。この調子で後もうすぐ新元号ですのでどうなりませう…

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さてこの日は、先日整備した連中を引き連れて横浜ポポンへ。


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先ずは451系と551系の並び。
顔以外は基本的に同じですが、空気ばね台車装備と551系の方がグレードが少々高いのが特徴です。

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「西所沢-西武球場前」表示で4連で走る451系。晩年の姿ですね。
狭山線は西武ドームでのイベント時以外は長閑なローカル線で、比較的遅くまで旧型車の運行があったと言われています。

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「東村山-西武園」表示で2連で走る451系。
戦前より、村山貯水池(多摩湖)が観光地として人気を集めたため、付近を走っていた、後に西武鉄道として統合される鉄道会社(旧西武鉄道・武蔵野鉄道・多摩湖鉄道)がこぞって路線を引いたため、あの辺りは多摩湖線・西武園線・狭山線と支線が多く、娯楽施設も数多くあるのが特徴です。

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続いては551系。
4連時代は思い出の彼方。カルダン車に組成されていたクハ1650を汲んだ最晩年の2連です。
行先は「武蔵境-是政」。ちょうど武蔵境で発車待ちをしている風景の様です。隣にオレンジ色の電車を並べたくなりますね。

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発車する551系の多摩川線列車。後ろは571系で2+2の4連を汲みます。
多摩川線は本線系統を追われた旧型車が最後に行き着く路線でしたが、近年ではワンマン化・リニューアルされた101系が多摩湖線と共通運用されているので少しグレードが上がった感じですかね。

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連結相手を451系に変え狭山線のピストン輸送に早変わり。
クハ1650が551系に連結されるようになったのは451系淘汰後なのでこの組み合わせがあったかどうかは微妙ですが…

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571系と551系の並び。
元々同じ形式として製造され、編成を組んでいた事もあった車両同士ですが晩年はこのように形式が分けられていた所がまた面白いですね。

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駅を出る571系2連の「東村山-西武園」折返し列車。
411系の401系化によるツリカケ増結車の減少を受けて先頭車化・形式独立した571系でしたがその活躍期間は非常に短いものでした。譲渡されたのも1編成のみと寂しいですね。

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551系を先頭に繋げれば多摩川線に変身。なお一部車両の電連は撤去されていたようです。
ツリカケ空気ばね台車FS40の乗り心地はどんなものだったのか体感してみたかったですね。

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451系と571系、そっくりさん同士の並び。
基本的に行先表示窓の有無くらいしか差異がありません。似た顔ですが実は20年のブランク(451系は1959年搭乗、571系は1970年代後半先頭車化)があるとは…

西武も今後増え…るんですかね…?
とりあえずラズベリーとベージュのツートン塗りを上手く仕上げる自信が無いとだけ言っておきます。


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西武余り関係無い(と言うか箱根山戦争で対立関係)ですが何故か小田急も出演。
2600形復刻塗装による「湘南急行」です。

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湘南急行も僅か数年で消滅してしまいましたが、快速急行が全線で運行されるこんにち、誤乗車防止として名前が復活しないかどうか気になっています。

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反対側は筆者が最初で最後に乗った「各停町田」表示に。
白いボディーが多かった時代にこれはかなり目立った存在でしたねぇ…余り遭遇しませんでしたが…。

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湘南急行という事で10両編成なので後ろには8000形の4連がくっついています。

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8000の方(新宿方)は「急行新宿」表示に。Bトレのステッカーを用いて旧幕時代を再現しています。

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8000形のうち、連結面に入る事が多い小田原方先頭は「準急小田原」とわけのわからん行先になっています。近年準急は地下鉄直通車のみとなってしまい1日1本の珍表示とかも少なくなって寂しいものです。
時折乗る、朝だけの緑色の種別の列車は特別な存在でしたね~…(主に土日に町田に行った際に乗った)。

今年は名鉄や相鉄に押された各私鉄を色々整備してやりませうか…と思いましたが・・・
またも地元からの熱い視線が来ておりどうなる事でしょうか。そのうち書きます。

最後までご覧いただきありがとうございました。

終焉迫る京急800形を堪能する

こんばんは

4月も早いものであっという間に過ぎて行きます。この調子で後半月ちょい後には新元号ですのでどうなりませう…

さて本日は、先日の撮影記録です。
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1灯ライト・片開きドアと「一昔前の京急」を思い起こさせる最後の形式だった800形。
2011年以降廃車が進み、4月以降はとうとうこの823編成1本のみに。それも6月を持って引退とアナウンスされています。相鉄線撮影(前回記事を参照)の後丁度よく横浜を通過すると言う事だったので狙ってみました。

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南太田でエアポート急行・快特のW待避中にのんびり撮影。
行先表示周りを黒く塗った当時としては斬新なデザインである反面、オデコの1灯ライト・片開きドアと京急の遺伝子を継承した少々古めかしいデザインを上手い事融合しています。
予定では左右非対称と更に斬新なデザインになる予定が、それが国鉄201系に採用されてしまいやむなくこのデザインになったとか。

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正面のアンチクライマーも京急の伝統。
万一の車両同士の衝突時に相手側に乗り上がるのを防ぐ装置です。保安装置の発達で列車同士の正面衝突事故がほぼ起こらなくなった現代ではほぼ不要で、京急でも1500を最後に採用されていませんが、やはりあると力強さと優美さを感じますね。

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運転台。
初の右手操作式ワンハンドルマスコンが採用されました。以降左手式が加わる等改良され片手操作式ワンハンドルマスコン普及が進むことに。以降2000形や小田急LSE~EXE、江ノ電や伊豆箱根鉄道で採用される事になりますが、発祥の地京急では直通規格に準じ1500形からは両手操作式が標準となり、右手操作式は800形を最後に消滅する事となります。

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車内には、自身の引退を告げるポスターが。記念切符も発売されいよいよ終焉が迫っている事を実感させられます。

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いつもは優等列車に乗り換えてバビューンと行きますが、この日ばかりは800形の普通に揺られてのんびりと。普通列車よりも優等列車が多く、待避駅ごとに長時間停車してそれらをやり過ごす等、京急と同じ赤系の電車が走る名鉄は意外と共通点が多いです。
堀ノ内駅では久里浜方面の列車と接続を撮るため少々停車。

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末端部になると乗客も減って…来ないです。終着浦賀まで結構乗車がありました。
其の中でも一瞬だけ先頭車が貸し切り状態になったのでパチリ。先頭車には冷風ダクトは無く天井がアーチを描いています。

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近年安全性向上のための常務員室の拡大で運転室直後に座席がある電車も減っています。相鉄では昔から無かったので無いものだと思っていましたが時々こうして別の鉄道の車両に乗ると、このような被りつき席があって新鮮だった思い出があります。

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座席。
スタイルは概ね登場時の姿をとどめています。当時としては珍しく袖仕切り板とスタンションポールが設置されています。当jにお車両の殆どが簡単なポール仕切のみだっただけにこの袖仕切りは斬新なものだった事でしょう。

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車内窓枠は日本初のFRPとなっています。
伝統を受け継いだ少々古い見た目の中にも斬新さを追い求めようとする当時の開発車の思いが伝わって来ます。

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ドアはご存じ片開き。「プシューッバタン!!!」と勢い良く開く姿が印象に残っています。
「乗降時間の短縮にはドアの幅よりもドア数そのものを増やした方が効果的」という当時の京急上層部の意向により500・700・800形と「18メートル4ドア車」と言う特異な車両が大量に増備されましたが、21世紀になってホームドア設置の妨げとなる事から一足早く淘汰される事に。まぁそこまでは予想もつかなかった事でしょう。
大手私鉄の通勤車両で片開きを採用する車両も京急と、あと南海の6000系くらいですかね…

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そして約1時間をかけて浦賀に到着。降り貸し時間が5分しかないので手早く撮影を済ませて改札を出入りします。
まずは2.5号車(パンタ車)の車内。先頭車とは異なり冷風ダクトが設置されており丸屋根から平屋根に変わっています。。

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続いて3.4号車。全車とも後年追加された中間車です。内装は2.5号車と変わりません。

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ユニット間には両開き式の貫通扉が設置されています。
後年増備される車両は全て狭幅貫通路となるので、両開き貫通扉はこの800形が最後となります。

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近年は延焼防止の観点から車両間に貫通扉が設置されている車両が増えましたが、800形はユニット間のみ設置されており3両先まで見通せます。

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車内には冷風吹出口は設置されていますがラインデリアは設置されていないため、補助送風機として扇風機が設置されています。

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扇風機には三菱のロゴと、今や懐かしの「KHK」ロゴが入ります。

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車内プレート。1981年製造です。
800形は初期は3連ばかりが多く製造されたので、比較的後期のこの編成も1981年製と第一編成登場から3年程度しか経っていません。

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続いては後年増備された中間車のプレート。此方は1982年製です。
823編成が3連だったのは1年程度だったのでしょうか。

このようにナンバーと製造プレートが一体化したステッカーになっているのは823編成を含む一部編成のみです。

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車両外窓はHゴムで黒く縁取りされています。
812編成までは固定窓でしたが、813編成以後は開閉式に変更されました。

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行先方向幕。
行先方向幕自体はまだ京急には多く残っていますが、前面・側面共幕なのはもう800形のみです。イベント時恒例の幕遊びももう出来なくなってしまいますね。

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堀ノ内停車中、久里浜方面からの列車を待つシーン。
最後まで残ったのはこのリバイバルカラー編成ですが、実車が登場後ほどなくして白帯に変わった事もあり馴染みがあるのは寧ろ白帯の方でリバイバルカラーは新鮮に見えますね。

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金沢文庫での待避。

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南太田での待避では貫通顔の1800番台と並びました。
800形の引退により、京急の旅客車から非貫通前面の車両が消滅します。

結局横浜⇔浦賀間を800で往復してしまいました。たまにはこのようにのんびりした旅もよいですね。

京急800形の引退により京急からは
・4ドア車
・非貫通車(旅客用)
・片開きドア(同上)
・オデコ1灯ライト(同上)
・1C12M制御
・前面行先方向幕
・右手操作式ワンハンドル
・扇風機
・分散冷房装置
etc
が消滅する事に。京急車両の歴史の一大転換点となるわけです。

しかし窓まわりの白塗装など、800形発祥で近年の新車で復活した伝統もあり、今後も京急からは目が離せません。

地味な活躍に終始しましたが、21世紀に向かう京急を支えた存在は、今日も直流モーターの爆音を響かせながら役目を全うしようとしています。。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

春の相鉄撮影記2019-2(7712Fを撮る!)

こんばんは

4月も早いものであっという間に過ぎて行きます。この調子で後半月ちょい後には新元号ですのでどうなりませう…

さて本日は、先日の撮影記録です。

前回の撮影↓

イメージ 1
8703F
お馴染みとなった天王町駅撮影へ。割と被りも少ないのでお気に入りのスポットです。
ですが工事中でまだ狭いんですよねぇ…間違っても三脚とか展開してはいけませんよ。
工事完了でどのような姿になるのか気になります。

イメージ 2
8701F
8000系も来年で30周年です。

イメージ 3
8708F
昨年辺りまで菱型パンタ搭載していた編成が3本まとめて来ました。

イメージ 4
7754F
7000系ばかり注目されていますが、新7000系も12000系増備で終わりが見えて来ているのでちゃんと記録しておきませう。

イメージ 5
7712F
その注目されている7000系。その中でももうじき検査期限切れと言う7712Fでした。最近巡り合わせが悪くて会えてなかったですが最後?に天王町の新しい撮影地で撮れてよかったであります。
ちなみに充電を忘れており、7712F連写中にカメラのバッテリーが切れました。ヒヤっとしましたが何とか無事に撮れていました。

と言う訳で今回は終了であります。この日の午後の動向についてはたぶんそのうち。

相鉄12000系デビュー記念撮影会in相模大塚レポートその3

こんばんは
最近鮮度落ちの腐りかけネタが多い中で久々にタイムリーなネタを投下しようと思います。

いよいよ相鉄新横浜線開業・JR直通開始が2019年11月30日スタートと発表された相鉄。準備の方も着々と進んでいるようでこの先だ非常に楽しみであります。

さて、そんな中でJR直通用車両12000系のデビュー記念撮影会が先日実施されました。20000系以来1年ぶりですね。2年続けて新型車両の撮影会があると言うのは相鉄では異例で、いよいよ直通で都心と繋がる日が近いのだと実感します。
当日は仕事が綺麗に被り、何度も交渉を重ねましたが休みにする事は出来ず結局午前の仕事を〆てから超特急で会場へ。着いたのは終了1時間前でしたが決してやる気が無いわけではありません前述の理由です。
超特急で向かい超特急で写真撮って帰ったので写真も文章もおざなりですがどうぞ見てやってくださいm(__)m。

前回↓

関連記事↓
20000展示会↓

ヤフーブログ終了で上記のリンクも使えなくなることが予想されるので移転後は記事名をコピーないしは検索欄に入力してくださいm(__)m

イメージ 1
外観・内装篇は終了しましたが今回は特別編をお送りします。

イメージ 2
昨今の車両のLED行先表示は切れ味抜群か切れにくいかの両極端です。
9000ネイビー、20000系は切れにくいLEDを採用して来ましたが、切れやすさに定評?のあるE233系シリーズの流れを汲む12000系はどうでしょう。
先ずはシャッタースピード1/640より。綺麗に写っていますね。1/125にしないと綺麗に映らないLED表示もある中でこれは結構期待できそうです。

イメージ 3
1/800
まだ切れません。

イメージ 4
1/1000辺りから徐々に乱れてきます。

イメージ 5
1/1250。
切れていますがまだ読み取れます。

イメージ 6
1/2000では完全にダメですがまだ読めます。

結論:1/1000辺りまでは大丈夫そうです。今後直通列車の表示を撮りたい時に活かせそうです。

イメージ 7
さて、車内見学から戻ってくると幕遊び(幕じゃないが)が開始。
先ずは快速星川表示。横浜からだと次が終着で、海老名方面からだと横浜まであと一歩のところで止められると言う、誰も得をしない列車です。今後星川の留置線機能が完成したあかつきにはダイヤ乱れ時などに見られるでしょうか。

イメージ 8
各停西谷
現在西谷に引き上げ線設置工事が進んでいるので、直通開始後は日常の光景になりそうです。

イメージ 9
特急西谷

イメージ 10
急行西谷
各艇しか停車しない小駅が一転して都心方面との結節点となるわけですが、果たして優等列車は停車するようになるのでしょうか…?

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特急二俣川
輸送障害時ごく稀に見られますね。幸か不幸か見た事はありませんが。

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特急瀬谷
区役所に近い三ツ境に止めずに瀬谷に停まる不思議。いや珍しくないかいずみ野線の例を見れば…
直通開始で瀬谷駅での待避・緩急接続は見られるようになるのか…?

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特急大和
急行・快速と平日1本ずつ大和行があるので特急も出来ないものかと心待ちにしています。

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特急相模大塚
停まりません。

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特急かしわ台
停まりません(2度目)。かしわ台の副本線は半ば留置線と化しているので今後も待避には使われなさそうです。ただでさえ狭いかしわ台構内に更に直通用車両が今後どんどん来ますからすし詰めとなる事でしょう。

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特急海老名
久々にまともな表示を見た気がする…

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特急湘南台
我らがいずみ野線にもやって来ます。いずみ中央のポイントは既にオフシーズンなのでさぁ何処で撮ろうか…

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急行湘南台
御存知だろうか…相鉄で最初に発売された10000系旧塗装のBトレの行先ステッカーに「急行・湘南台」が収録されているのを…(Nで買ったあかつきには再現してやるつもり)

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特急いずみ野
此方もダイヤ乱れ時稀に見られるそうです。

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快速いずみ野
あと1駅頑張れよォ…(威嚇)

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急行いずみ野
海老名方面に快速が設定された一方、いずみ野線への旧江は未だに設定されませんね。
直通開始のあかつきには朝ラッシュ時のいずみ野線発着の優等も復活するのでしょうか…?

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最後は急行海老名表示に落ち着きました。

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後方の撮影者をかわすべくローアングルで撮って来ましたが流石に足が痛くなってきたのでポジション移動。身動きも中々取れなかったですね~…

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そして平常間際には「回送」に。お疲れ様でした。
結局「羽沢横浜国大」や直通先の表示は出ませんでしたね。直通開始後の楽しみにしておきませう。

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テールに切り替わりました。

イメージ 26
やっぱりいかつい顔です。

イメージ 27
12000系は今後総是う6本になると言う事です。
JR側からは埼京線のE233系7000番台が乗り入れてきます。ちょっと遠くを走っているイメージの車両がいきなり地元にやってくるのはなんだか不思議な気分ですね。

イメージ 28イメージ 29
閉場のアナウンスに促されて会場を後にする…と歓声が聞こえたので見ると何と最後の最後で「羽沢横浜国大」表示が!!!慌てて撮った&トリミングで超拡大したので写真の出来はお察しですが貴重な表示が拝めました。


しかし閉場のため早目の退出をアナウンスで促しているのに最後の最後でこういうサプライズは如何なものかと…今後サプライズ目当てに最後まで滞留してしまう人が続出しないか気になるところです。


そして14日の試乗会を経て、4/20日より運行開始との事。9000ネイビー、20000共に運行開始当日にコケているので今度こそは順調なスタートを切ってほしいものです。

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第2の主役?と言うべきか…?な7712F。
ホームからの目隠しと言うよりは、営業線に隣接しているため来場者が誤って営業線に入り込まないための衝立役と何処かで耳にしました。

イメージ 31
閉場後の会場。
40年前のデザインは二の次の真四角な電車と、21世紀のデザイン重視の電車の共演もあとわずかです。7712Fも検査期限が迫っているとの事で12000系就役で運用から外れてしまう可能性もあります。記録はお早めに。


以上、1年ぶりの相鉄新車レポートでした。運行開始したら乗りに行きます。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

相鉄12000系デビュー記念撮影会in相模大塚レポートその2

こんばんは
最近鮮度落ちの腐りかけネタが多い中で久々にタイムリーなネタを投下しようと思います。

いよいよ相鉄新横浜線開業・JR直通開始が2019年11月30日スタートと発表された相鉄。準備の方も着々と進んでいるようでこの先だ非常に楽しみであります。

さて、そんな中でJR直通用車両12000系のデビュー記念撮影会が先日実施されました。20000系以来1年ぶりですね。2年続けて新型車両の撮影会があると言うのは相鉄では異例で、いよいよ直通で都心と繋がる日が近いのだと実感します。
当日は仕事が綺麗に被り、何度も交渉を重ねましたが休みにする事は出来ず結局午前の仕事を〆てから超特急で会場へ。着いたのは終了1時間前でしたが決してやる気が無いわけではありません前述の理由です。
超特急で向かい超特急で写真撮って帰ったので写真も文章もおざなりですがどうぞ見てやってくださいm(__)m。

前回↓


関連記事↓
20000展示会↓

ヤフーブログ終了で上記のリンクも使えなくなることが予想されるので移転後は記事名をコピーないしは検索欄に入力してくださいm(__)m


本日は内装篇です。
イメージ 1イメージ 2
(と言いつつ外装篇が少々続くのは前回同様)
側面行先表示はフルカラーLEDですが11000系以来の停車駅スクロール表示が復活しています。
11000系をはじめ、E233系初期タイプでは停車駅のスクロールが「停車駅は○○…××に停まります」と文法的におかしかったのが、12000系やE233系後期タイプでは「停車駅:○○…××です」と直されています。

イメージ 3イメージ 4勿論イベント時のそうにゃん表示にも対応しています。

さて、車内も見て行きませう。待機列に並びます。
イメージ 5
車内。
解放されていたのは6号車(確か)~2号車でした。今回より土足で入らず、靴にカバーをかぶせるようになっていました。非解放車両は遠目に見るしかなかったのでこんな写真です。
概ね20000系と同様ですが車体寸法が広がったおかげか割と余裕があるように見えます。
座席モケット柄は20000系と同様ですが形状が若干異なります。

イメージ 6
車端部。
貫通扉は20000系同様の物です。

イメージ 7
ユニバーサルデザインシートも20000系に引き続き採用されました。20000系では網棚が省略されていましたが、就役直後に袖仕切りの上に金属板が接ぎ足されましたが。ドア側から無い網棚に荷物を乗せようとして座ってる人にクラッシュさせたなんて事例があった事でしょう。12000系ではどう改良するのか気になっていましたが再び設置されています。

イメージ 8
普通の優先座席。

イメージ 9
20000系では車端部は全て優先席orフリースペースでしたが、12000系では一部に普通座席があります。今回初めて、普通座席のユニバーサルデザインシートと言うのもお目見えしました。
尚、高身長の人が立ち上がる時は注意が必要です。注意しないと確実にぶつけます。と言うか既にぶつけました(身長1.75mの筆者曰く)。

というか筆者注意力が散漫なので普通の網棚でも時々ぶつけるんですよね。

イメージ 15
優先席と一般席(ユニバーサルデザインシート)が向き合って配置されています。

イメージ 10
ドア付近。
ドア形状は11000系・E233・E235系と同様の角ばった物となっています。
ドア脇の手すりも独特の形状だった20000系の物から一般的なものになっています。

イメージ 11
ドアボタンはE233系近郊型などと同様のものです。
取付方向も20000系とは異なりE233系に準じています。

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ドア上にはLCDモニターが2基設置されています。
旅客案内用のモニターがドンと中央にあった20000系とは異なり、11000系やE233系同様の旅客案内用と広告用賀1基ずつの2画面配置となっています。その代わりに20000系やE235系で見られる広告用デジタルサイネージはありません。

イメージ 13
旅客案内用の表示内容は概ね20000系と同様です。
モニタ―周りが黒かった20000系とは対照的に白で統一されています(オレンジ味を帯びているのは照明のせい)。


イメージ 14
LCDモニタ―横には相鉄初の防犯カメラが設置されています。

イメージ 16
吊り革は90000ネイビー・20000系に続き赤飯オニギリ形(と勝手に名付けた)が設置されています。

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消火器位置等の案内表示ピクトグラムは車端部に貼付られています。

イメージ 18
ナンバー・製造年・号車番号は上記の反対側に張られています。
「sustina」の文字が光ります。2018年末に落成・搬入されていますが2019年製造と言う扱いなのですね。

イメージ 19
自身のデビューを宣伝する広告がそこら中に掲出されていました。
やはりこの表情と眼光がアピールポイントとなるんですね。

イメージ 20
車内には12000系のポイントを記したパネル展示がされていました。

イメージ 21
内装。
運行開始たらそのうち撮ります。

イメージ 22
座席。

イメージ 24
車内の小物類。

イメージ 25
設計検討時。
四角い弁当箱みたいな車体にドアと窓が申し訳程度にくっついた物を書いておけば電車と認められた時代は今は昔。各社とも電車を「走る広告塔」と位置付け、各々の個性を出しながら時代や顧客の要求に応えるべく様々な検討を重ねて開発をしているようです。

イメージ 26
製作中の写真。鉄道模型を作っている時の写真みたいですね。
まず関係者以外は見られない総合車両製作所横浜事業所の中と言う貴重な写真です。
相鉄の最新型が、スポーク付の古びた仮台車に乗せられているというチグハグな光景が中々面白いものです。

イメージ 27
完成した車両は相鉄に搬入されます。
山口県の日立製作所で製造された20000系は1度も方向転換せずに相鉄にやって来ますが、地元横浜の総合車両製作所(東急車両と言った方が簡単でいいのよね)で製造された12000系は逗子→根岸線・東海道貨物線→新鶴見→東海道貨物線→相模貨物→茅ヶ崎→厚木→かしわ台、と2度もスイッチバック(下線はスイッチバック個所)を経て搬入されるのが面白いところです。甲種輸送も搬入も撮れませんでしたが…

イメージ 23
ブランドアッププロジェクトの全体コンセプト。
今までの相鉄とはガラッと雰囲気も変わりそうで今後が楽しみです。

イメージ 28
慌ただしかったので内装はあまり撮れずに終わってしまいましたがそのうち営業運行開始後にじっくり撮れたらと思います。

次回はオマケ篇をお送りします。
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