こんばんは
祝!相鉄・東急直通線開業!!!
そんな記念すべき日にも沿線アピールするために記事を流していきます。この記事でどれだけアピールになるかは不明ですが…

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特別企画「相鉄線全駅をめぐる旅」本日は6駅目となります。

特別企画「相鉄線全駅をめぐる旅」プロローグ・目次
前駅 和田町(SO-06) 
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   上星川 かみほしかわ 
ナンバリング: SO-07 
停車種別:各停

和田町を出た下り各停は、出発したと思ったらすぐに加速を止めてしまい、帷子川橋梁を渡ると次駅到着のアナウンスが流れすぐに次の駅に到着。そこが上星川で、自分の中では昔から駅間距離が短い区間の代名詞とも言えます。その距離は0.7㎞と、実は西横浜~天王町(0.6㎞)よりも僅かに長いのですが、同区間は急カーブがあったりするのでそれほど体感的には短くないですね。
逆にさらに次の西谷までの間は駅間がかなり長く、列車はそれまでゆっくり走っていたのから一転し、スピードを上げて行きます。上星川までは駅間距離が1㎞未満・上星川以西は1㎞以上となる丁度境目で、かつての市街地と郊外の境目のようにも思えます。

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1926年に二俣川からこの駅までが開業した際に開設され、当初は「星川」を名乗りましたが翌年に北程ヶ谷(現在の星川)までが延伸。1933年に北程ヶ谷が星川に改称する際に名前を譲って「上星川」を名乗ります。
現在では各停しか止まらない駅もかつては起終点として機能していたという事実が面白いところです。SLの時代ですから機回し線やターンテーブルとかがあったりしたのでしょうか。

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駅全景。
オーソドックスな橋上駅舎を備える典型的な中間駅のスタイル。

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南口。
ホームにへばり付くように階段とエスカレーターが設置されています。Nゲージのストラクチャがこんな感じでしたね。

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北口。
こちらはバスターミナルに直結しています。南北共にエスカレーター・エレベーター完備。

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駅舎内。
有人改札は用がある際にインターホンで呼び出して対応するシステムのようです。駅員は券売機横の窓口に常駐しています。

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ホームは和田町駅同様に相対式2面2線のシンプルな構造。かつては下り線側(写真左)に待避線があったようですが、現在では撤去されています。ホーム幅が徐々に広がっていくのがその名残でしょうか。
なお上りホームは横浜方に、下りホームは海老名方に1両分ほどずれて設置されています。これだけずれているのは相鉄では珍しい存在ですね。

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到着する上り各停。

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下りホーム。
和田町駅とは異なり、駅舎と階段はホームの中央部(和田町みたく極端に寄ったりはしていない)に設置。

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上りホーム。
比較的余裕のあるホーム幅を生かして自動販売機や待合スペースなどが設置されています。

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海老名方ホーム先端部。やはり1両分ほどずれています。
下りホーム海老名方は有名撮影地のようですが被りやすいイメージがあるので使った事がありません。

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横浜方ホーム先端部からは上星川保線区の建物が望めます。
その敷地の一角にある森の中には「鹽田(塩田)稲荷神社」という神社があり、1966年に遷座されたとの事。2月の初午には相鉄の社員や役員が安全祈願に訪れるとの事です(相鉄公式によるツイート)。
残念ながら関係者のみしか立ち入れない場所ですが、長年鉄道敷地内にある不思議な神社を見てきた相鉄ファン的には是非一度お参りしてみたい場所です。

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駅南側直ぐの所には帷子川が流れ、水の音がよく聞こえてきます。

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北口側にはバスターミナルが設けられています。
屋根付きの待合スペースがあるなど、バス停と言うより接続する小鉄道みたいな趣です。

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到着するバス。
国道16号からあまり距離が無く、建物も密集しているためバスターミナルは非常に狭い構造です。

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転回するスペースが無いため、到着したバスは乗客を降ろすと引き上げスペースへ。

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引き上げスペースにて待機するバス。

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そして発車時間が近づくと、係員の誘導でバックします。スイッチバックの要領ですね。
自動化とか効率化とか無人化が進む現代ですがこういった人間同士の阿吽の呼吸で動く物と言うのもまたよいものです。

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バス停までバックオーライし、客扱いを開始。
緑色の旧塗装も減りつつあるようですね。

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待機スペースに停車する相鉄バス新旧塗装。相鉄バスと言えば白地に右の濃淡グリーン帯ですね。
昔は復刻塗装として白地に赤帯のバスもいましたが現在は引退してしまった模様。二俣川在住時代に乗る方向とは違う路線にばかり入ってて悔しい思いをしたのでもう一度リバイバルしてほしいですね。

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乗客が乗り終わると発車。
ちなみに駅前までやってくるのは上星川発着便のみで、残りは国道16号上の停留場に発着します。

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何となく鉄道の駅っぽさがある上星川駅バスターミナル、此処もじきに再開発されたりするのでしょうか…

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駅前のビル。何となく地方都市にありがちなバスターミナルのビルのような趣です。バスのきっぷ売ってたり小さな食堂があったりしそうな雰囲気。

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駅前には小規模な飲食店街があります。

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こちらは南口。小規模なロータリーがありますがバスは乗り入れません。
駅前にはそうてつローゼンやスポーツジム、温泉などの商業施設があります。近年再開発され装いも新たになっています。

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上星川駅南口には銭湯が数軒あり、先述の温泉とも合わせてちょっとした温泉街になっています。
マンガなどに出てくる昭和の銭湯の雰囲気が残っています。

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上星川駅海老名方上空には謎の高架橋が通過していますが、これは東海道貨物線の高架橋です。国鉄末期の1970年代に建設された路線で、貨物線のため地元への恩恵が無いどころか騒音や振動が増えるだけという事から沿線では反対運動が展開されたため、線路をすっぽりとシェルターで覆い、入換用ディーゼル機関車も防音対策を特に施したものを特別に誂えるなど入念に対策が取られています。

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そのため東海道新幹線と交差する西谷駅とは異なり、相鉄線から貨物線を走る列車を見る事、あるいはその逆は不可能です。これが貨物線の高架橋であると知ったのもわりと最近(と言っても小学生時代)です。
何度か「湘南ライナー」で通過した事がありますがシェルター内からここは上星川と分かる物は全くありません。

しかし開業から40年が経ち、貨物のみだった横浜羽沢駅が羽沢横浜国大駅として相鉄・都心と結ばれるようになろうとは…当時の人々は思ったでしょうか。

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貨物線の高架下は商店街になっています。

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お洒落なデザインの街灯。

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上星川から西谷までは1.9㎞と、横浜から来て初めて駅間距離が1㎞を越えます。
環状2号をくぐる辺りまで長い直線が続いたのちは右に左にカーブし徐々に高度を上げて行きます。

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北口から西谷方に徒歩10程の所にある杉山社。バス停名にもなっています。
杉山神社と言う神社は相鉄沿線にいくつか存在します。

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一方こちらは南口から坂を道なりにえっちらおっちら上った先より。右端にランドマークタワーなど横浜の街並みを一望できます。夜景が綺麗かもしれませんね。ただし坂はかなり急です。

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坂を登った先にあるのが1915年に開設された「西谷浄水場」。相模湖を水源とし、主に鶴見・神奈川・西・中・南・保土ヶ谷の各区を担当する浄水場です。
西谷浄水場 施設概要 横浜市 (yokohama.lg.jp)
横浜市の水は、北部西部担当の川井・東部担当の西谷・南部担当の小雀の3か所にて主に処理され、各家庭や事業所などに送られています。

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西谷浄水場敷地内に存在したのが「横浜水道記念館」で、水道にまつわる様々な展示がされる博物館…でしたが、

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西谷浄水場再整備工事に伴い2021年9月末日を以て閉館してしまった模様。館内には初代横浜駅前に設置された「水道創設記念噴水塔」や、建物の展望スペースからは遠くまで見渡せたりと見どころ満載だったようです。小学校時代に校外学習か何かできた記憶がうっすらとあるのみでそれが最初で最後でしたね。
相鉄沿線歩きの際には是非と思いましたが非常に残念です。

※すべて敷地外より撮影。
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西谷浄水場へと登って行く坂はその名もズバリ「水道坂」。横浜市内にはこのほかにも水道道と呼ばれる道や水道管と併用のトンネルなど、水にまつわる様々な物があります。

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さて、上星川駅と西谷駅の中間あたりまで歩いてやってきました。
国道16号から脇道に入り、相鉄線と交差する踏切に至ります。

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かつてここには、
 新川島 しんかわしま 
ナンバリング: SO-07.5 
停車種別:
という駅が存在しました。
1930年に天王町・常盤園下(現在の和田町)と共に開業しましたが、戦時中に休止。以降再開されることは無く1960年に正式に廃止となっています。
上星川を出てストレート区間を過ぎ、カーブが連続する区間に入った際に2つ立て続けに踏切を通過する箇所がありますが、2つ目の踏切の先の鉄道用地が左右に膨らんだ箇所があり、そこが駅跡とされます。
※すべて柵外より、また踏切内からの写真は安全に十分配慮したうえで撮影。

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「鉄道ピクトリアル」の当時の記録に依ると、下り線側に駅舎があったとされます。
駅が現役だったのは単線時代(複線化は1952年)でしたが、どんな駅構造だったか気になりますね。

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通過する下り列車。
当然ながら現在みたく電車が8-10両に増大する前に休止・廃止となっているため駅のスペースは非常に小さいです。

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通過する上り列車。
戦時中は燃料節約や効率化のため利用の少ない駅や駅間距離が極端に短い駅は休廃止・統合されており、現在の相鉄線においても古河電線・常盤園下・新川島駅などが休止に。常盤園下駅はやや海老名方に移転の上で和田町駅として再起しましたが、新川島駅は再起せぬまま廃止となっています。
現在の上星川駅の「片方は700m・もう片方は2㎞弱」という駅間距離の差はこうして形成されました。

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駅跡を外から。現在駅跡は資材置き場として活用されている模様です。
駅がかつてあった事をしのばせる物は鉄道用地のふくらみ以外ほぼ無いと言ってもよいでしょう。

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遠い昔に廃止された駅は既に存在を忘れられ、跡地も開発の波にのまれて消えゆくものが多いですが、駅があった事を知らない世代が知ったら「ここにあったら便利かも?」と思ったりするのでしょうか。
しかし昔みたく板張って駅舎建てて完成、ではなくバリアフリー設備の設置や自社どころか他社の路線図まで修正しなければならない現在は新駅設置のハードルはかなり上がったとも言えます。

次は 西谷(SO-08)